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“伝説の革命家”フィデル・カストロがアントニオ猪木「亡き愛娘」の思い出に涙した夜「赤ら顔の2人が旧友のように肩を組んで…」 

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原悦生

原悦生Essei Hara

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photograph byEssei Hara

posted2022/05/01 17:01

“伝説の革命家”フィデル・カストロがアントニオ猪木「亡き愛娘」の思い出に涙した夜「赤ら顔の2人が旧友のように肩を組んで…」<Number Web> photograph by Essei Hara

1990年3月、筆者がキューバで撮影したフィデル・カストロ議長とアントニオ猪木の2ショット。2人の友情はその後も長く続いた

「カストロさん、もう来ていますよ」

 総領事は猪木に「もうそろそろ、カストロさんが来そうですよ」と伝えていた。

 翌日、私がホテルにいると電話が鳴った。受話器を取ると、日本総領事館からだった。

「カストロさん、もう来ていますよ。猪木さんと話をしています。早く来てください」

 私は急いでタクシーに乗り、大使館に向かった。大使館の周りには、武装した兵士が何人も立っていた。

 中に入ると、カストロ議長と猪木がソファーに座って話している。私は、すぐに写真を撮り始めた。

 フィデル・カストロは伝説の男だ。私が子どもの頃、アメリカのケネディ大統領との「キューバ危機」があった。1962年、ソ連がキューバにミサイル基地を作っていることがわかり、アメリカはカリブ海を海上封鎖。米ソは核戦争寸前まで緊張が高まった。

 その時、アメリカと対峙した男が1メートル半くらいの距離にいる。私は興奮を隠せなかった。「挨拶もせずに勝手に撮って大丈夫かな」と思いながら、私は床に座り込んで2人の会話の邪魔にならないようにシャッターを押し続けた。

 しばらくして、カストロ議長が声をかけてきた。

「オマエは誰なんだ? オレは新聞記者は嫌いなんだ」

 やはり、どの国でも政治家はみんな新聞記者が嫌いなのだ。

「前は新聞記者だったけれど、今はフォトグラフォ(写真家)です」

 私は質問に答えた。ぶっきらぼうだが、メキシコで覚えたスペイン語が少し役に立った。

「そうか、好きに撮れ」

 そう言うと、カストロ議長は再び猪木と会話を始めた。

 2人の会食は、別室で猪木がカストロ議長にお酌をする形で始まった。その光景を撮り終えると、私は部屋を出た。

 2時間半以上は経っただろうか。ドアが開くと、赤ら顔の2人が肩を組んで出てきた。まるで旧友のように。カストロ議長はトレードマークの帽子を脱ぐと、猪木に渡した。それを猪木が被った。

 2人はかなり酔っていたが、2度目の対面でここまで意気投合できるものだろうか。

【次ページ】 “伝説の革命家”が流した涙の理由

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