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マヤノトップガンが制した天皇賞・春はなぜ「伝説の三強対決」と呼ばれるのか… 若き武豊、横山典弘を凌駕した田原成貴の“矜持”とは
posted2022/04/29 17:02
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph by
KYODO
名勝負として語り継がれるレースには、いくつかの共通点がある。まず挙げられるのは、そのレースで覇を競った馬たちが競馬史に名を残す名馬であること。それに次ぐ、いや、場合によっては同じくらい重要な要素となるのは――。
それらの名馬を操るのが、時代をリードする名騎手たちであることだ。
「三強対決」に沸いた1997年の天皇賞・春も、まさにそうだった。
「三強」の鞍上は横山典弘、田原成貴、そして武豊
1番人気はサクラローレル(牡7歳、父レインボウクエスト、美浦・小島太厩舎)。前年の覇者で、前走の有馬記念も完勝していた。鞍上は、メジロライアン、ホクトベガなど個性派の力を引き出した横山典弘。当時29歳。
2番人気はマヤノトップガン(牡6歳、父ブライアンズタイム、栗東・坂口正大厩舎)。2年前の菊花賞と有馬記念、前年の宝塚記念などを制していた。騎乗するのは、トウカイテイオーで1年ぶりの実戦となった有馬記念を制するなど、大舞台で類まれなる強さを見せていた「元祖天才」田原成貴。当時38歳。
そして3番人気はマーベラスサンデー(牡6歳、父サンデーサイレンス、栗東・大沢真厩舎)。この時点ではGI勝ちこそなかったものの、前年重賞4つを含む6連勝を遂げていた。鞍上は、すべての最速・最年少記録を更新し、前年まで5年連続7度目のリーディングとなっていた武豊。このとき28歳。
なお、上記の馬齢は出走時の旧馬齢であることをお断りしておく。
馬名と騎手名を見ただけで胸躍る、最強馬決定戦。サクラローレルが勝ち、マーベラスサンデーが2着、マヤノトップガンが7着となった前年の有馬記念以来2度目の「三強揃い踏み」となった第115回天皇賞・春(1997年4月27日、京都芝外回り3200m)の出走馬16頭がゲートを飛び出した。