沸騰! 日本サラブ列島BACK NUMBER
マヤノトップガンが制した天皇賞・春はなぜ「伝説の三強対決」と呼ばれるのか… 若き武豊、横山典弘を凌駕した田原成貴の“矜持”とは
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph byKYODO
posted2022/04/29 17:02
マヤノトップガン、サクラローレル、マーベラスサンデーの「三強対決」に沸いた1997年の天皇賞・春。25年の時を経てなお競馬ファンの記憶に残る名勝負だ
出遅れたインターライナー以外は、ほぼ横並びのスタートを切った。そのなかから南井克巳のビッグシンボルが抜け出し、単騎逃げの形で1周目の3、4コーナーを回って行く。
少しずつ密度を増した馬群が正面スタンド前に差しかかった。サクラローレルは中団馬群のなか。直後にマーベラスサンデーがいて、マヤノトップガンはこれら2頭の内を進んでいる。
1000m通過は1分2秒0というゆったりした流れになった。大歓声が上がり、それによって折り合いを欠く馬も見受けられた。
1コーナー進入時は、サクラローレルが馬群の外目に持ち出されて8番手、マーベラスサンデーがその2馬身ほど後ろの10番手、マヤノトップガンは、さらに1馬身ほど後ろの内埒沿いにいた。
田原が感じていたトップガンの変化
マヤノトップガンは、先行して菊花賞を勝ち、有馬記念を逃げ切った馬だ。典型的な先行馬と見られており、そのイメージどおりの競馬でこの前年の宝塚記念を勝っていた。
しかし、宝塚記念以来となったオールカマーではサクラローレルにコンマ9秒離された4着に終わり、次走の天皇賞・秋こそバブルガムフェローの2着と好走したが、有馬記念では前述したように7着に敗れていた。
田原は、キャリアを重ねるにつれて、マヤノトップガンの走り方が変わってきていることに気づいていた。もともと背中を伸ばしてゲートを出る馬で、そうして伸び切った状態から全身を収縮させて走ることができるようになるまで20mほどを要していた。それがさらに距離を要するようになり、リズムに乗った走りができるようになるまで30mほど必要になっていたのだ。だからといって、無理に押してポジションを取りに行くと、生来の真面目な性格からか、引っ掛かって折り合いを欠いてしまう。
前年の天皇賞・春の敗因は、まさにそれだった。
同じ轍を踏みたくなかった田原は、マヤノトップガンが伸び切った背中を自然に縮めるまで時間を与えて、馬のリズムを最優先にする乗り方をしようと思っていた。そうすると、どうしても後方のポジションになってしまう。前走の阪神大賞典で試してみたところ、思ったとおり、背中を無理なく縮める時間を得たトップガンは後方からの競馬となったが、最後まで素晴らしい走りをしてくれた。