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「阪神の勝率.200」現状だと歴代最低ペースだが… 過去最弱チームは?《85年日本一から2年後、急転落を招いたトラブルとは》
posted2022/04/26 11:03
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Kyodo News
阪神は4月24日、ヤクルトに勝ってようやく5勝目、勝率を今季初めて2割に乗せた。
この低勝率は、現代のプロ野球ではそうそう目にすることはなかった。1965年のドラフト制度導入以降、強いチームだけに優秀な選手が集まる傾向は解消され、戦力均衡が進んできたからだ。
以下は1950年2リーグ分立以降の球団の最低勝率10傑。カッコ内の数字はリーグ順位、そのあとの人名は監督。
1958年 近鉄130試29勝97敗4分
率.238(6)加藤久幸 ※
1955年 大洋130試31勝99敗0分
率.238(6)藤井勇
1954年 洋松130試32勝96敗2分
率.250(6)永沢武夫
1961年 近鉄140試36勝103敗1分
率.261(6)千葉茂 ※
1970年 ヤクルト130試33勝92敗5分
率.264(6)別所毅彦→小川善治
1952年 近鉄108試30勝78敗0分
率.278(7)藤田省三→芥田武夫
2005年 楽天136試38勝97敗1分
率.281(6)田尾安志
1952年 松竹120試34勝84敗2分
率.288(7)新田恭一
1950年 広島138試41勝96敗1分
率.299(8)石本秀一
1959年 近鉄133試39勝91敗3分
率.300(6)千葉茂→林義一
1955年 トンボ141試42勝98敗1分
率.300(8)浜崎真二→笠原和夫
最低勝率は1958年の近鉄パールズと、1955年の大洋ホエールズの.238だが、※印のシーズンは引き分けを0.5勝と計算していた。今の計算なら1958年の近鉄は勝率.230となり、単独最低勝率となる。ただ、今の阪神はその勝率よりも低い。
近鉄とヤクルトが苦しんだ時代と、高橋ユニオンズ
近鉄の愛称、パールスは近鉄沿線の名産「志摩の真珠」に因んだものだったが、「玉砕ばかりのパールス」と揶揄された。翌年、巨人時代に「猛牛」と言われた千葉茂を監督に招いて愛称も「バファロー」に変更した。
ただ、成績は全く上昇しなかった。最低勝率10傑(11球団)の中には近鉄が4回出てくる。しかも「猛牛」千葉茂監督になった1961年には日本のプロ野球史上唯一の100敗(103敗)を記録している。この時代を最弱チームと言っても良いかもしれない。
1970年のヤクルト・アトムズの大負けも印象に残っている。巨人の大エースだった別所毅彦監督が率いて3年目だったが、8月に入ってシーズン2度目の11連敗と負けが込んで解任された。帽子をとって、白髪頭を深々と下げた写真がスポーツ紙各紙のトップに載った。少し後になってテレビアニメで「マケルト・アトナイズ」というプロ野球チームが出てきたのを覚えている。
高橋ユニオンズも「最弱球団」と言われている。