酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
「阪神の勝率.200」現状だと歴代最低ペースだが… 過去最弱チームは?《85年日本一から2年後、急転落を招いたトラブルとは》
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byKyodo News
posted2022/04/26 11:03
24日のヤクルト戦で阪神は今シーズン4勝目をマークした
日本のビール王と言われた高橋龍太郎がポケットマネーで運営したと言う異色の球団。2年目の1955年はトンボ鉛筆がスポンサーになってトンボユニオンズとなったが、勝率は3割ちょうどだった。
高橋龍太郎の孫で、サッポロビールの専務取締役だった秋山哲夫氏は、野球殿堂博物館などに通い、祖父のチームの事績を集積して2冊の私家本にまとめている。これによると2年目のユニオンズはほとんどお客が入っていない。特に10月6日の川崎球場での近鉄戦は入場券実売枚数29枚(売り上げ3370円)だった。これはプロ野球史上最低ではないかと推定される。
パには「勝率.350を割り込めば罰金」という規定があった
当時、パ・リーグには「勝率.350を割り込めば罰金500万円」という規定があったが、10月2日の時点で、勝率.350を割り込むことが確定した。当時の大卒初任給が1.3万円程度、最近は22万円ほどだから、今に換算すれば8000万円くらいになるだろうか。
勝率3割以下の10傑11例の球団のうち、9例は1965年のドラフト制度施行前の球団だ。ドラフトがない時代は、有力選手は巨人、阪神、南海など一部の球団に集中し、戦力差が極めて大きかった。一方でドラフト制以後では、新球団や、親会社や本拠地が変わった球団、新球団が最低勝率を記録することが多い。
2005年の楽天は、前年の「球界再編」でオリックスと近鉄が合併し、5球団になったのを受けて新規参入が決まった。正式決定は前年11月、ここからのチーム編成となった。近鉄、オリックスからの分配ドラフトに加えて12球団から自由契約になった選手を獲得、田尾安志監督で陣容を整えたものの、時間不足の感は否めなかった。
阪神日本一から2年後の「.331」、何が起こったのか
さて、阪神タイガースである。
阪神の歴代ワースト勝率は、1987年の41勝83敗6分、勝率.331だ。
阪神は2年前の1985年にリーグ優勝したが翌年3位、そしてこの年は首位の巨人から37.5ゲーム差の最下位に沈んだ。ランディ・バースは37本塁打、打率.320だったものの、負傷明けとなった掛布雅之の成績が下降、投手陣も振るわなかった。
この年の阪神も陣容だけを見れば、中位以上の戦力ではあった。