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酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
“暴力を振るわない恩師への感謝”とドラフト直前の連絡… 「宮司の息子」で通算1004安打の名ショート大引啓次37歳が明かす野球人生
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byHideki Sugiyama
posted2022/04/24 17:01
2015年日本シリーズでの大引啓次。手堅い守備と通算1004安打をマークした名ショートだった
「1年目はたくさんエラーもしました(リーグ2位の17失策)。困ったのは、12球団それぞれ球場の性質が違ったり、学生時代はあまり経験しないナイターがあったり、毎日試合に出なきゃいけなかったり……そういう過酷さに適応するのに1年はかかりましたね。
あと、プロはみんな生活が懸かっているから、三遊間に打球が飛ぶと必死に走るんだ、ということに気づきました(笑)。もともと中学校時代から三遊間の守備は好きでしたが、大学の時も高校時代に比べてみんな格段に足が速いと感じていました。それをプロでまた一段と感じましたね。『私の肩では飛び込んで捕っても一塁に間に合わない』と感じて、事前にポジショニングなど、身体能力を補うように調整しながらやっていました。
ショートからはピッチャーの投球の軌道が見えたり、バッターの振り始めとか反応とかも見えるので、“このカタチだったらここに飛んでくるかな”とか、体重の移動をかけたりとか。1年目はすごく苦労しましたけど、2年目以降は打者の傾向や性格が分かるようになってスタートも早くなり、少し適応できたかなと思っています。
でも当時のオリックスは低迷していて、最下位争いが多かったので、しんどかったですね。なかなかチームの勝利につながらないので、みんなどこか個人個人になってしまう、そういう風潮だったような気がします」
順調なキャリアの中で、まさかの電撃トレード
――そんな大引選手が目標にしていた遊撃手は、日本ハムの金子誠選手だったとお聞きしました。
「当時のパ・リーグには、同い年の西岡剛とか、川崎宗則さん、西武の中島裕之(現宏之、巨人)のような、守れて打てて、スター性もあるようなそういう選手がたくさんいたんです。だけど、私がいくら頑張ってもそこにはたどり着けないなと。それよりも金子誠さんやセ・リーグの宮本慎也さんのように、打球が飛んでも安心して任せられる選手になりたいと思っていました。
金子さんの日本ハムにも、毎年のように鳴り物入りのルーキーが入ってきましたが、そういう選手との競争に勝って、最後はやっぱり金子さんという感じになる。ああいう選手になりたいなと思いましたね」
大引はオリックスの不動の遊撃手としてキャリアを重ねていくと思えた。しかし2013年の春先、野球人生が激変する事態が起きた――。後編では日本ハムへの電撃トレードやヤクルトへのFA移籍、ルーキー時代の大谷翔平についての印象や大学院に通う現在について話してくれた。
<後編に続く>
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