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酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
佐々木朗希17歳《高校野球で賛否の登板回避》から3年… 令和の怪物は「投手の球数」固定観念を壊すシンボルなのか
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byAsami Enomoto
posted2022/04/19 11:05
大船渡高校3年時、岩手県大会準決勝で登板した当時17歳の佐々木朗希
佐々木朗希の高校時代について整理してみると
日本高野連は翌2019年「投手の障害予防に関する有識者会議」を設置し「球数制限」に関する議論を本格的に始めた。そしてこの年の4月に大船渡の佐々木朗希が高校日本代表候補による研修合宿で、非公式ながら163キロの球速を記録して注目を集めた。
7月の岩手県大会、佐々木は16日の2回戦で2回19球、18日の3回戦で 6回93球を投げた。そして21日の4回戦の盛岡四戦では佐々木が先発して2-2のまま延長戦となり延長12回、194球を投じた。22日の準々決勝の久慈戦は2番手、3番手の投手が投げて延長11回6-4で勝利。24日の準決勝の一関工戦では佐々木が先発して129球で完封した。
そして25日の決勝・花巻東戦で、大船渡の國保陽平監督は佐々木朗希の登板を回避し、大船渡は2-12で敗退した。國保監督はスポーツクリニックで佐々木の肩、肘の精細なチェックを行い、これに基づいて投球数のガイドラインを設けていた。
國保監督の決断に対して専門家や野球ファンから非難の声が上がり、大船渡のOB会では國保監督の更迭の話も出たという。しかし、桑田真澄(現巨人コーチ)、ダルビッシュ有(現パドレス)など、國保監督の決断を理解する意見が挙がったのは「投手の健康」に関する意識の変化を感じさせた。
佐々木朗希はこの年のドラフトで西武、日本ハム、楽天、ロッテの競合の末にロッテ入団が決定する。ロッテの吉井理人投手コーチ(現ピッチングコーディネーター)は1年目の佐々木を試合に出さず、一軍に帯同させつつ調整し、2年目途中から一軍昇格。10日以上という長いスパンで投げさせた。
そして3年目の今年は開幕からローテを維持し、4月10日に105球で完全試合を達成。そして17日も8回までパーフェクトだったが「102球」という球数と、本人のコンディションを勘案して井口資仁監督は降板を決意した。
高校の監督が非難を浴びた3年後、井口監督の「英断」
あるメディアのアンケートによれば、ファンは今回の井口監督の判断を約70%が支持したという。この結果に、筆者は今昔の感慨を抱く。
3年前の7月は、4日前に194球、前日に129球を投げた佐々木を決勝のマウンドに上げなかった國保監督の決断は、全国から轟々たる非難を浴びた。しかし3年後の4月、中6日で上がった佐々木を102球で降ろした井口監督は「英断」と称賛されたのだ。