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佐々木朗希17歳《高校野球で賛否の登板回避》から3年… 令和の怪物は「投手の球数」固定観念を壊すシンボルなのか

posted2022/04/19 11:05

 
佐々木朗希17歳《高校野球で賛否の登板回避》から3年… 令和の怪物は「投手の球数」固定観念を壊すシンボルなのか<Number Web> photograph by Asami Enomoto

大船渡高校3年時、岩手県大会準決勝で登板した当時17歳の佐々木朗希

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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Asami Enomoto

前週の完全試合に続き、佐々木朗希が日曜日に再び快投を見せた。伝説となった“8回パーフェクトピッチング”について、2週連続で観戦したファン視点の記事、さらには「球数」という観点からの記事をお届けします(観戦編も)

 佐々木朗希のやったことがあまりにも大きすぎて、何を書いてもかすんでしまう印象がある。佐々木の快投と降板は、日本野球の「投手への意識」を変えてしまうのではないか。

 日本で「投手の投球数」が問題視されたのは、そこまで昔の話ではない。

 2006年、夏の甲子園で早実の斎藤佑樹(元日本ハム)が1回戦から決勝の引き分け再試合までを投げぬき、948球を投げたときには「投げすぎ」を指摘する声はほとんどなかった。

 テレビの実況ではアナウンサーが「あの細い身体からなぜあんな力が湧いてくるのでしょう、感服しました」と語っていたほどだ。

米メディアが投げかけた波紋と、吉田輝星vs大阪桐蔭

 こうした日本野球の意識に波紋を投げかけたのは、アメリカのメディアだった。

 2013年、済美の安樂智大(現楽天)が、春の甲子園で決勝戦まで一人で772球を投げた時は、米のジャーナリスト、ジェフ・パッサンが安樂や済美の上甲監督(当時)に取材。甲子園を目指す日本の高校野球の特殊性を世界に発信した。

 パッサンは「将来のために投球数を制限する」と自ら宣言した大和広陵の立田将太(元日本ハム)にも密着取材したが、立田は2014年奈良県大会の準決勝で、岡本和真、廣岡大志(ともに現巨人)を擁する智辯学園と対戦。序盤から打ち込まれたものの2番手以下の投手との力量差があったために投げ続けざるを得ず、160球以上投げて敗退した。

 この試合をネット裏で見たが、いかに個人が「球数を制限したい」と思っても、制度、システムを整備しない限り、難しいことを実感した。

 2018年夏の甲子園では、金足農の吉田輝星(現日本ハム)が初戦から決勝戦の途中まで一人で投げ抜いた。吉田の球数は881球に上ったが、柿木蓮(現日本ハム)、根尾昂(現中日)、横川凱(現巨人)の3投手を擁する大阪桐蔭に敗れ去った。

 このときにはじめて本格的な「球数制限」の議論が起こった。

【次ページ】 佐々木朗希の高校時代について整理してみると

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