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佐々木朗希の前代未聞「52人連続アウト詳細」を見てみる… 過去の完全試合直後の成績は?《Mr.サンデーパーフェクト継続中》
posted2022/04/18 17:02
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Kyodo News
ロッテの井口資仁監督は、4月17日・日本ハム戦の佐々木朗希について「今日は100球弱と思っていた。味方が点を取っていたとしても佐々木は8回で代わっていた。7回を終わった時点でちょっとへばりつつあったんで」と語った。
それは真実だったと思うが、同時に選手誰もが経験したことがない精神的な重圧も加味して、という部分もあったのではないかと感じる。
完全試合からの継投では2007年の日本シリーズ、日本ハムとの第5戦で中日の先発・山井大介が8回までパーフェクトでありながら降板したケースがあった。山井はここまで86球だったが1-0の最少得点差であり、絶対的なクローザーの岩瀬仁紀が控えていた。落合博満監督は「勝つため」に冷徹な判断をした。その結果、中日は日本一になった。
しかし今回の井口資仁監督は「勝つため」とともに「投手を守るため」に同様の判断をしたとみることができよう。
プロ野球と名前が付くリーグで「2試合連続完全試合」など、どこの国の記録を探しても存在しないはずだ。なおMLBでは、ジョニー・バンダー・ミーアが1938年に「2試合連続ノーヒットノーラン」を記録している。
1938.6.11ボストン・ビーズ戦 9回0安3球4振 責0
1938.6.15ブルックリン・ドジャース戦 9回0安8球7振 責0
それでもバンダー・ミーアは2試合・計18回で11人もの走者を出している。
しかし今回の佐々木朗希は2試合・計17回で1人の走者も出さなかった。こんな投球はかつて誰も記録したことがない。
過去15例の「完全試合直後の登板結果」はどうだった?
NPBで完全試合を達成した投手16人の「次の登板」の記録を調べてみた。カッコ内の(●回)は次の試合で初めて失点したイニング。なお、比較のため完全試合の投球も載せたが、すべて9回0安打0四球、自責点0なのでこの部分は割愛し、奪三振数(振)だけとした。日付の後のカッコ数字はダブルヘッダーでの試合を示す。
・藤本英雄(巨人)1950.6.28西日本戦 7振
→1950.7.2松竹戦 9回8安0球2振 責4(2回)●
・武智文雄(近鉄)1955.6.19 (2)大映戦 6振
→1955.6.23毎日戦 3回4安0球2振 責1(1回)●
・宮地惟友(国鉄)1956.9.19 (2)広島戦 3振
→1956.10.3大阪戦 6回6安0球0振 責1(3回)●
・金田正一(国鉄)1957.8.21 (2)中日戦 10振
→1957.8.25 (2)広島戦 9回8安2球4振 責2(2回)〇
・西村貞朗(西鉄)1958.7.19東映戦 6振
→1958.7.24南海戦 5回6安3球1振 責4(2回)●
・島田源太郎(大洋)1960.8.11 (1)阪神戦 3振
→1960.8.16国鉄戦 5回6安1球3振 責2(4回)●
・森滝義巳(国鉄)1961.6.20中日戦 4振
→1961.7.9巨人戦 5.2回1安4球1振 責1(12回)●7回から救援
・佐々木吉郎(大洋)1966.5.1 (2)広島戦 7振
→1966.5.4阪神戦 3回3安1球0振 責0(失点せず)〇9回から救援
→1966.5.7中日戦 9回8安2球5振 責1(5回)〇
・田中勉(西鉄)1966.5.12南海戦 7振
→1966.5.17阪急戦 2回3安2球2振 責1(10回)〇9回から救援
・外木場義郎(広島)1968.9.14大洋戦 16振
→1968.9.18中日戦 8.2回6安3球3振 責1(3回)●
・佐々木宏一郎(近鉄)1970.10.6南海戦 4振
→1970.10.10(2)阪急戦 7.1回8安3球3振 責3(6回)〇
・高橋善正(東映)1971.8.21 (2)西鉄戦 1振
→1971.8.26南海戦 9回13安2球5振 責4(2回)〇
・八木沢荘六(ロッテ)1973.10.10 (1)太平洋戦 6振
→1973.10.13近鉄戦 8.2回10安1球3振 責4(1回)1回途中から救援
・今井雄太郎(阪急)1978.8.31ロッテ戦 3振
→1978.9.5ロッテ戦 9回7安2球4振 責2(6回)〇
・槙原寛己(巨人)1994.5.18広島戦 7振
→1994.5.24阪神戦 7回7安2球3振 責3(3回)●
・佐々木朗希(ロッテ)2022.4.10オリックス戦 19振
→2022.4.17日本ハム戦 8回0安0球14振 責0(失点せず)
次の登板が先発ではなく救援だった投手が4人いる。