濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
「那須川天心や武尊とは違うんですよ、僕は」青木真也が因縁の秋山成勲に大逆転KO負け…帰国して語った本音とこれから「50歳になっても」
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph byONE Championship
posted2022/04/15 17:01
秋山成勲との“因縁の一戦”を終えた青木真也が、試合を振り返って現在の心境を明かした
「“俺はダメなんだ”という気持ちをずっと抱えていた」
「ここまで言って負けたらどうなるんだ」というところまでさらけ出すのが青木なのだった。そうやって自分の試合に意味を持たせてきた。特に海外の大会であるONEでは、日本のファンに向けて自分から発信することが重要だった。会見やインタビューだけではない。noteやVoicyといったメディアを使い文章、音声を届ける。いずれもツイッターのような短文ではなくじっくり読む/聴くメディアだ。
「この4、5年ずっとそれをやってきたわけですよ。作家で演出家で演者。だから周りによくしてもらえたという部分もあります。同時に消耗してしまった感じもある」
なぜ、すべて自分で“作る”のか。DREAM時代にはスタッフたちとの共同作業だった。「本当はそんなタイプじゃない」と思いながら団体の中心に立って闘った。だがDREAMは続かなかった。青木はONE参戦を選び、またIGF、DDTとプロレスの試合もするようになった。
「DREAMが“青木主役で行くぞ”となって、でも行ききれなかった。“俺はダメなんだ”という気持ちをずっと抱えてました。だからRIZINに出て桜庭和志に勝った時“どうだお前ら、青木真也はここまで大きくなったぞ”と思えたんですよ。(今はRIZINに関わる元DREAMスタッフたちに)もうお前らが作った青木真也じゃない、俺はすべて自分でやれるんだと。そういう気持ちで“作って”きたんですよね」
「那須川天心や武尊とは違うんですよ、僕は」
多くの選手がUFCを目指していた時、青木はONEを選んだ。ONEが格闘技ファンに認知されてくると、プロレスラーとしての活動にも力を入れる。天邪鬼であり、青木なりのバランス感覚でもあった。“格闘技界の流れ”とは違う場所に軸足を置くことで“青木真也”を確立しようとしていたのだ。青木はずっとDREAMから独り立ちしようとしていた。おそらくその集大成が秋山戦で、しかし青木はそれに負けた。
アメリカに乗り込んでのギルバート・メレンデス戦をはじめ、自分はいつも大事な試合で勝てないのだと青木は言う。だから「器じゃなかった」と。ただ川尻達也戦など、大事な試合での勝利だって多かったはずだ。そう聞くと、青木は言った。
「それは、僕が賭場に入っている回数が多いってことですよね。全部賭ける、保険なしの試合が多かった。それはあるんですけど、那須川天心や武尊は賭けに全部勝ってるじゃないですか。やっぱり彼らとは違うんですよ僕は。そういう意味で器じゃない」
世界屈指の寝技師、日本を代表するMMAファイターというだけでなく、こうした考え方、表現の仕方も青木の面白さだ。以前、プロレス会場で彼と立ち話をしていた時のこと。若い格闘家たちのSNSやYouTubeの話題になった。彼らは試合が決まると舌戦を展開し、終われば試合内容を振り返って分析する。優れた評論家で、マスとどう向き合うか、どうやって観客を集め、視聴率を上げるかも語ることができる。青木もそうだ。
「ただ僕が思うのは、そこに“文学”があるかどうかですよ。僕が語りたいのは文学なんで」
秋山戦の後には「俺は格闘技の中でプロレスがやりたい」とも。単に勝った負けたではなく、SNSでくさしあったり会見で乱闘するのではなく「思想信条、主義主張」をぶつけ合う。「お前はどういう人間なんだ、俺はこうだ。そういうやりとりですよね」と青木。彼にとって「プロレス」と「闘いに文学を落とし込む」ことはイコールだ。