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「これが引き際なんだな」“世界のTK”高阪剛52歳が引退を決意した“本当の理由”…ラストマッチのRIZINへ「ヘビー級って面白い」
posted2022/04/15 11:03
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
Gantz Horie
4月17日に東京・武蔵野の森総合スポーツプラザ・メインアリーナで行われる総合格闘技イベント『RIZIN.35』で、先月52歳となった“世界のTK”こと高阪剛が、極真空手の世界大会優勝者で今回がMMAデビュー戦となる26歳の上田幹雄と対戦。高阪はこの試合が引退試合となることが発表された。
“世界のTK”高阪剛の格闘家人生
高阪は、中学から高校、大学、社会人と柔道を経験後、1994年に前田日明が主宰するリングスに入門しプロデビュー。翌1995年10月には道衣を着用した総合格闘技のオープントーナメント「ザ・トーナメント・オブ・J ’95」に出場し、決勝でイーゲン井上を破り優勝。日本人格闘家として初めてグレイシー柔術家を破ったことで一躍頭角を現した。
1998年からは拠点をアメリカに移し、総合格闘技の世界最高峰UFCにレギュラー参戦し、キモ、ピート・ウィリアムスを撃破。ここから“世界のTK”と呼ばれるようになる。現在までヘビー級日本人MMAファイターで、UFCにレギュラー参戦したのは高阪だけだ。
2004年にロン・ウォーターマンを破りスーパーヘビー級キング・オブ・パンクラシストとなり、2006年には「負けたら引退」の覚悟を持って、「PRIDE無差別級グランプリ2006」に出場。1回戦で体重130kgのK-1GP王者マーク・ハントに壮絶な殴り合いの末敗れ、一度は引退。
その後は後進の指導、さらにはラグビー日本代表チームの臨時コーチなどを務めていたが、2015年にRIZIN旗揚げとともに45歳で現役復帰。復帰戦はジェームス・トンプソンに見事TKO勝ちを収めたが、その後、元大関のバルト(把瑠都)、ミルコ・クロコップに連敗。前回の試合は、2020年1月「HEAT」のリングで、クロアチアのサシャ・ミリンコヴィッチと対戦。試合中、スネを負傷しドクターストップで敗れている。
今回は2年3カ月ぶりの試合であり、総合格闘技ラストマッチ。キャリア28年、世界を股にかけて活躍し格闘技界を牽引してきたレジェンドが引退を決意した理由はなんだったのか。そして時代を担う新たなヘビー級の逸材、上田幹雄とどういった闘いを見せようとしているのか。高阪剛にその思いを聞いた。
◆◆◆
――まず今回、あらためて引退を決意した理由を聞かせてください。
高阪 経緯的なことを話すと長くなってしまうんですけど。自分は2015年の年末にRIZINで現役復帰して、17年の大晦日にミルコ・クロコップに(TKOで)負けたあと、コンスタントに試合をして「RIZINに戻る」っていう目標があったんですよ。ミルコ戦が結局何もできずに負けてしまったので、他のリングで勝ち星を重ねてから、またRIZINという日本でいちばんの舞台に上がりたいと思っていたんですね。
でも、ケガだのなんだのが重なってなかなか試合ができなくて、ようやく2020年1月にHEATで2年ぶりの試合ができたんです。その試合では途中でスネが割れてしまってドクターストップ負けだったんですけど、そこから年2回くらいのペースで試合をして結果を出して、RIZINに戻りたいと思っていた。ところがコロナ禍になって状況が大きく変わったことで、その計画が崩れてしまったんです。