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かけっこで「ビリ」だった川内優輝はなぜ日本代表になれた? 子どもの才能を潰さないための“早生まれ”への理解
text by
鈴木威/バディスポーツ幼児園理事長Takeshi Suzuki
photograph byYUTAKA/AFLO SPORT
posted2022/04/15 17:00
2019年世界陸上ドーハ大会男子マラソンに出場した川内勇輝。18年ボストンマラソン初優勝後にプロ転向した
卒園生のなかに、とても印象に残っている早生まれの子がいました。
彼は走ることが大好きな子でした。しかし、3月生まれだったので、4月生まれと比べると、運動能力に大きな差がありました。
かけっこやマラソンを楽しそうに走りながらも、いつも彼はみんなのいちばん後ろを走っていたのです。
そんな彼の姿を、お母さんは温かく見守りながら応援し続けていました。
それからしばらくすると、いちばん後ろを走っていたはずの彼が、一人、また一人と、自分よりも速かった子どもたちを追い抜いていきました。
しかし、それでも抜けないA君がいました。
「A君に勝ちたいんだけど、どうしても抜けないんだ」
と悔しがる彼。たしかに、彼が抜けないA君は、彼よりも月齢が半年近く早かったのです。そこで私はこう言いました。
「よしわかった。A君と同じ月齢になる半年後に、もう一度計測してあげる。そのときのタイムで比較しよう」
すると、彼は瞳を輝かせて喜びました。そして、来る日も来る日も走り続け、半年後に計測すると、抜けなかったA君のタイムを、見事に上回りました。
「ビリ」でも「日本代表」になれる
その後も走る才能を磨き続けた彼は、日本を代表するマラソンランナーの一人となり、日の丸を背負って世界選手権やアジア大会に出場するまでの選手となりました。
彼とは、「公務員ランナー」で有名になり、現在はプロランナーとして活躍する川内優輝選手のことです。
川内選手がバディのビリから日本代表のランナーとなるほど才能を開花させることができたのは、そのような月齢差を考慮した声がけもあったと思いますが、なによりもお母さんの姿勢が大きな要因だと思っています。
お母さんは息子がどんなに走るのが遅くても、どんな姿で走っていたかをしっかり見ていたのです。
もしその姿を見ず、順位やタイムしか見ていなかったら、いまの川内選手はなかっ
たと思います。
「いつも後ろばかり走っていてかわいそう。もうやめさせよう」
「これじゃあ才能なんてあるわけないから、ほかのことをやらせよう」
そう言って、子どもから走ることを取り上げてしまう親もいるでしょう。
しかし、川内選手のお母さんは、順位やタイムよりも、彼が楽しそうに走る姿をなによりも大切にしていました。
子どもの才能を見落とさないために、まず意識すべきは、目先の順位やタイムに目を向けることではありません。
そのスポーツを、子どもがどんな姿でやっているか、どんな表情でやっているかを見守ることが重要なのです。