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あの只見がなぜ21世紀枠に? センバツ出場の立役者がいま明かす、“推薦プレゼンの裏側”…改めて考えた「高校野球はどうあるべきか」
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byHideki Sugiyama
posted2022/04/09 11:00
21世紀枠で甲子園初出場を果たした只見。東北地区の選考委員会でいかにして決まったのか?
陽の目を浴びず、結果が出ずとも日々純粋に、ひたむきに野球に打ち込む。そこには、自分たちの活動を支えてくれている地域、住民などへの感謝がある。それこそが、本来の高校野球のあるべき姿であり、原点ではないか――そう熱弁したのである。
「只見高校さんのこれまでの取り組みを、この機会にみなさんにわかってもらいたい。がむしゃらに頑張っている公立高校に光が当たる、ひとつのきっかけになってほしいなという想いで話をさせてもらいました」
この根源は、自身の経験も関係している。
「高校球児はみんな、甲子園を目指すべきだ」
そのことを、木村は実現させた。
2020年に監督を務める磐城が21世紀枠での代表校に選ばれながら、新型コロナウイルスの猛威によってセンバツは中止に。この年の3月で監督を退任し、他校への異動が決まっていた木村は「悲劇の象徴」とされたが、夏に甲子園で行われた交流試合で特例措置としてノッカーを務め、初めて甲子園の土を踏んだ。
「公立校でもひたむきに野球に打ち込んでいれば、いつかチャンスが訪れ、夢が叶う」
その確信が、只見の東北地区21世紀枠候補への一助となった。
木村はこの直後から、最終関門となるセンバツの選考委員会へ向け推薦理由のスピーチの草案作りに着手するわけだが、それは同時に「高校野球の原点」を探す新たな旅でもあった。
「私、51になるんですが、恥ずかしながら初めて只見町に足を運ばせていただきました」
バツが悪そうな口調で木村が照れる。無理もない。只見町は会津地区ではあるが、会津若松市からでも車で2時間ほどかかるくらいの奥地。太平洋側のいわき市出身で現在は郡山市に住み、福島市で勤務する木村からすれば縁遠い場所であることを否定できない。
只見町で見た“野球部のあり方”
そんな地に、木村は11月からセンバツ代表校が発表される1月までの3カ月間、毎月1、2回は通った。
「只見町を知り、只見高校野球部を見ないと何も始まらないと思ったものですから」
積雪のため、野球部はシーズンオフの大半をグラウンド以外で過ごす。練習場所は体育館や駐輪場。恵まれない環境ながら、木村の目は、それでも野球ができる喜びを感じながら汗を流す選手たちの姿を捉えていた。