ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
“最強タッグ”スタイナー・ブラザーズはなぜ新日本プロレスを選んだのか? 明かした「ニュージャパンの黄金時代」《WWE殿堂入り》
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byEssei Hara
posted2022/04/13 17:00
1991年3月21日『スターケード in 闘強導夢』で初来日し、いきなりIWGPタッグ王座を奪取したスタイナー・ブラザーズ
マサは俺のプロレスの師匠であるブラッド・レイガンズと仲が良かったし、もともとアマチュアレスリングのオリンピアンだから、俺たちの気持ちをよくわかってくれた。だからなんの心配もせず、仕事を受けることができた。また、WWEを辞めたあと『1年間はアメリカの他のリングに上がってはいけない』という契約だったから、そういう意味でもニュージャパンは打ってつけだった。しかもマサはエリック・ビショフ(当時のWCW副社長)とも通じていてWCWとの関係も良好だったので、俺たちはその後すんなりとWCWに戻ることもできたんだよ」
「ニュージャパンには素晴らしいタレントも揃っていた」
こうしてスタイナー・ブラザーズは1994年から新日本プロレスに主戦場を移し、武藤敬司&馳浩、ヘル・レイザーズ(ホーク・ウォリアー&パワー・ウォリアー=佐々木健介)らと、名勝負を展開。その後、WCWに籍を戻すが、引き続き新日本のリングにも上がり続けて日本のファンをよろこばせた。
「あの頃の俺たちのように、WCWと新日本の両方に出られたのは、アメリカにいる選手にとって理想の形なんじゃないかな。俺たちはWCWと契約しながら、スポットで日本に1週間ぐらい滞在して、ニュージャパンのビッグマッチが終わったら、アメリカに戻ってPPV大会に出ていたからね。俺は日本の食べ物が好きなんだよ。だから日本に来るのはいつも楽しみだった。また、俺のスタイルはニュージャパンとすごく合っていたから、試合そのものも楽しむことができたよ。素晴らしいタレントも揃っていたし、ニュージャパンの黄金時代と言っていいんじゃないかな」
1990年代、最高のタッグチーム
ADVERTISEMENT
スタイナー・ブラザーズがその全盛期、WWEで活躍した期間は短かった。それでも今回、WWE殿堂に招かれたのは、90年代のプロレス界全体に与えた影響の大きさが評価されてのことだろう。リック・スタイナーはあの時代をこう振り返っている。
「今のプロレスは、俺たちがやっていた頃と比べてスタイルがだいぶ変わったよね。マイクパフォーマンスが多くなったり、試合もいきなりハイスパットで始まったりしている。だけど時代の流れはコントロールできない。今のプロレスは今のファンに支持されているんだから、それでいいと思う。ただ、90年代は今みたいなSNSはなかったけど、レスラーもファンもみんなエネルギーがあったし、ビンスもテッド・ターナー(WCWオーナー)もわかりやすい形でケンカをしていて最高な時代だった。それだけはたしかだね」
そんな時代に最も輝いたスタイナー・ブラザーズ。やはり1990年代最高のタッグチームは彼らだと言っていいだろう。