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“まともに走れない投手”が激投の高校野球…“小学年代の全国大会廃止”の柔道に何を思う? 14年前、センバツ優勝した監督の後悔「選手の能力を潰していた」
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byHideki Sugiyama
posted2022/04/05 06:00
山田投手の奮闘に関しては各種のメディアが報じるほど注目度が高い。そこで考えるのは、「全国大会は何のためにあるべきなのか」という問いだ
選手の能力を最大限引き出した上で、「試し合う」のではなく、「全国制覇」という目的を達成するためのチームづくりをしてしまう。
これは現状、日本のスポーツの多くのチームが直面している全国大会への向き合い方ではないだろうか。
全国大会は誰のため、何のためにあるのか
もちろん、その背景には大会の性質というものがある。高校野球のみならず、多くの競技の全国大会はトーナメント制を敷いていて、一発勝負の負けられない試合ばかりだ。
そうなると、どうしても、能力を最大限引き出して「試し合う」というよりも、試合に負けないチームづくりを選択せざるを得なくなる。
全国大会の制度のあり方も問われていくが、現状として言えるのは、比嘉さんの言葉にあるように、優勝を目指せば選手の才能の一端を潰しかねない要素があるということだ。
全国大会は誰のため、何のためにあるのか。
それをもう一度、問い直す必要がある。
満身創痍の山田(近江)の激投に思うこと
個人的な意見を言わせてもらえば、高校生年代に全国大会はあって良いとは思う。しかし、その回数や大会の方式はこれから問うていくべきなのではないだろうか。
一方、小・中学年代の全国大会の必要性はあまり感じない。この世代は“負けてもいい”試合を数多く経験することにこそ意味がある。経験値を増やすことで選手たちの可能性が最大限に引き出されるようにしていくのが理想的ではないか。
かつて、日本高野連の会長にセンバツ大会の廃止を提案したことがある。
その賛否はさておき、本当に今のままで全国大会のあり方は正しいのかどうか。「試合」とは何かという原点に立ち返って再考する必要があるような気がしてならない。
死球を受けまともに走れない投手が170球も投げる。
「チャイルド・アビュース(児童虐待)だ」と海外から言われても返す言葉がない。
本当に全国大会は子どもたちのためになっているのか。
柔道界の英断はどの競技の関係者にとっても他人事ではない強烈なメッセージになったはずだ。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。