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“まともに走れない投手”が激投の高校野球…“小学年代の全国大会廃止”の柔道に何を思う? 14年前、センバツ優勝した監督の後悔「選手の能力を潰していた」 

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氏原英明

氏原英明Hideaki Ujihara

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photograph byHideki Sugiyama

posted2022/04/05 06:00

“まともに走れない投手”が激投の高校野球…“小学年代の全国大会廃止”の柔道に何を思う? 14年前、センバツ優勝した監督の後悔「選手の能力を潰していた」<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

山田投手の奮闘に関しては各種のメディアが報じるほど注目度が高い。そこで考えるのは、「全国大会は何のためにあるべきなのか」という問いだ

 細々と戦っていましたが、唯一、食ってやろうとみんなが思ったのが準決勝のPL学園(大阪)戦。僕にとっても一番燃えた試合でした。前年の夏、延長17回のPL―横浜戦の死闘に出ていた田中一徳(元横浜)がいて、テレビで見たやつが今いる、と。絶対に勝つという一心でした。(沖縄県にとって)大臣が生まれるのが先か、甲子園優勝が先かと年配の方がよく言っていたので、それくらい優勝は県民にとって悲願だった。それをまさか僕らがやるとは夢にも思わなかったです」

 あれよあれよのうちに頂点に上り詰めたセンバツ制覇だった。

 全国制覇を強烈に意識していたわけではなく、自分達の力を出し切った果ての頂点だった。比嘉さんは準決勝のPL学園戦で250球の熱投。決勝戦の登板は回避している。これ以上、投げてはいけないという指揮官の配慮だったという。

優勝チームに対する後悔「能力を潰していた」

 その後、愛知学院大へと進んだ比嘉さんは指導者の道を志す。恩師だった金城(孝夫)監督が勇退する最後の年に臨時コーチとしてチームに帯同。その際、甲子園でノックを打つ機会に恵まれ「こういう道もあるのか」と本格的に監督を目指すことになった。

 2008年、絶対的エースの東浜を擁して、守備をベースとした洗練された野球で自身が果たして以来のセンバツ制覇を果たした。送りバント、エンドラン、守備は完璧というほどにミスがなく、緻密な野球をするチームだった。

 しかし、比嘉さんはそのチームの優勝を誇らしく思う一方で、悔いも残したと言い、こう続けた。

「最初に東浜のボールを見たときにこれはレベルが違うと思いました。彼がいたので3点取れば勝負になると考えました。だから、ディフェンスを固めようと。僕が言わなくても、当時のキャプテンを中心にしっかりやってくれました。

 でも、いま、あの時のチームを預かったら、もっと点を獲らせる指導をしていると思います。点を獲れる打線だったのに、1点を取りに行く野球をしていました。その時はそれがベストと思っていたんですけど、振り返ると、その子たちの能力を潰していたと思います」

 優勝するためにはこれがベストだと思った。

 当時の比嘉さんはそのように考えたが、指導者のあり方として「能力を最大限まで引き出すこと」という視点から見れば、「悔いがある」という言葉には考えさせられるものがある。

【次ページ】 全国大会は誰のため、何のためにあるのか

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