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ジャックドールは「令和のサイレンススズカ」なのか? 徹底比較して見えてきた違いと“最大の共通点”「このラップで走れる馬は…」 

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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photograph byKeiji Ishikawa/Photostud

posted2022/04/02 06:00

ジャックドールは「令和のサイレンススズカ」なのか? 徹底比較して見えてきた違いと“最大の共通点”「このラップで走れる馬は…」<Number Web> photograph by Keiji Ishikawa/Photostud

金鯱賞をレコードタイムで逃げ切ったジャックドール(右)。その戦績や毛色、脚質から、同馬を「令和のサイレンススズカ」と見る向きもある

 このように、逃げるようになる理由やプロセスも、少々違っている。が、3歳の秋に自分の型を確立させ、4歳に本格化するという点はまったく同じだ。

ゆっくり走ることが苦手だったサイレンススズカ

 ということで、3歳秋から4歳時の2頭の走りを見ていきたい。

 サイレンススズカは、旧4歳の秋、天皇賞を使うという前提で神戸新聞杯に出走した。しかし、「楽に勝たせてやりたいという思いが強かった」と振り返る上村が、直線で後ろを離していたのでゴール前で流し気味に走らせたところ、マチカネフクキタルに差されて2着に敗れた。

 次走の天皇賞・秋では河内洋に乗り替わり、道中2番手を10馬身ほども離す大逃げを打った。直線では残りそうにも見えたが、後続に差されてエアグルーヴの6着。それでも、3着のジェニュインとはコンマ1秒差だったのだから、場内を沸かせた大逃げも、この馬にとっては「暴走」ではなかったと言える。

 つづくマイルチャンピオンシップは状態が今ひとつで15着。最初で最後の海外遠征となった香港国際カップ(現・香港カップ)では武豊が騎乗して逃げ、ゴール前でかわされ5着となった。普段はおとなしかったのだが、このころには返し馬でも走り出すと止めるのが大変になるほど、さらに抑えが利かなくなっていた。

 以降、主戦となった武は、無理に抑えようとはせず、序盤から馬の行く気にさからわず、逃げる競馬をさせるようになった。

 サイレンススズカは、ゆっくり走ることが苦手だったのだ。序盤や中盤で抑えると、力を溜めるどころか、逆にストレスになった。だから武は、最初から行かせた。その結果、98年のバレンタインステークス、中山記念、小倉大賞典、金鯱賞、宝塚記念(南井克巳騎乗)、毎日王冠と破竹の6連勝をやってのける。

 サイレンススズカ自身も己の武器に気づいたのか、当初はそれほど速くなかったゲートからの1、2完歩も、逃げるレースを繰り返すうちに少しずつ速くなっていった。

同じ「逃げ」でも特徴は大きく異なる

 ジャックドールは、昨年のプリンシパルステークスのあと4カ月ほど休ませて馬の成長を促したことで、課題だったトモの緩さなどが徐々に解消されていき、その後のブレイクにつながった。

【次ページ】 金鯱賞の超速ラップが証明する「絶対的な強さ」

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