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野球クロスロードBACK NUMBER
“投手分業制”で強豪に育てた監督の信念すら…近江・山田陽翔は“賛否とは別次元の男”「『エースで4番でキャプテン』だと自覚している」
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byHideki Sugiyama
posted2022/04/02 17:03
センバツで近江・山田陽翔が投げた594球。多賀監督はこれまで“投手分業制”を採用してきた指導者だった
近江が滋賀県勢で初めて決勝戦まで勝ち進んだ2001年夏がそうだった。準優勝の原動力となった右の竹内和也、左の島脇信也、右のサイドスローの清水信之介は、近江「3本の矢」と呼ばれ、脚光を浴びた。
最近でもそうだ。ベスト8まで進んだ18年夏は、主戦を務めた左の金城登耶と林優樹、右の佐合大輔、右のサイドスロー・松岡裕樹とタイプの異なるピッチャーを駆使した。このように、01年以降でひとりのピッチャーが甲子園で投げ切った年は圧倒的に少ない。
昨年の夏も甲子園ベスト4の立役者となったのは、2年生からマウンドに立っていた山田とエースの岩佐直哉の必勝リレーだった。
この時の多賀の本懐を今も覚えている。
「『お前たちが打たれたら、このチームが負ける時や』とずっと言ってきましたから」
全幅の信頼を置いた投手陣に対して腹を括れる。それが多賀という指導者であり、このセンバツに関しては、計算できるピッチャーが山田しかいなかったという現実があった。
何より、それだけの生き様を、山田は多賀に見せ続けていた。
「今年の近江は山田のチーム」の真意
「日本一を獲る」
強豪校からの誘いもあったとされるなか地元の近江に進学し、マウンドで奮闘する姿。2年夏の甲子園では右ひじに不安を抱えながら、痛み止めを飲んで投げ続けていたことを大会後に知らされた多賀は、怒るよりも「申し訳なかった」と、山田の体の異変に気づけなかったことを詫びた。
背中で、言葉で語る。それが山田という男だ。新チームでキャプテンになると、内向的だったキャッチャーの大橋大翔に「もっと自分を出せ、お前がしっかりしないと日本一になれへんぞ」と積極性を促した。大橋も「毎日、山田と話すようになって、自分を少しずつ変えられた」と感謝しているほどだ。
エースで4番のキャプテン。そのことから、「今年の近江は山田のチーム」と呼ばれる。
副キャプテンの津田基は、周りからそう評されることに悔しがってはいるものの、「みんなは山田がすごいことをわかっているから、『僕らも負けないように』って意味です」と、肯定的に受け止めている。
そんな山田の、絶対的な求心力。腹を括り選手を送り出せる多賀が認めないわけがない。
「山田は本当に『魂』という言葉が似合う選手なんです。野球に対する真摯な姿勢。そういうところに仲間も僕も引き付けられるし、学ばせてもらっています」