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「早熟なのに大器晩成」DDT竹下幸之介(26)は“現代のジャンボ鶴田”なのか? ついに“敢闘賞”受賞した男の真価とは《デビュー10周年》
posted2022/03/19 17:01
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
Gantz Horie
「早熟なのに大器晩成」。かつて『週刊プロレス』編集長を務めていたターザン山本は、90年代初頭、全日本プロレスのリングで三沢光晴ら超世代軍の高い壁となった頃のジャンボ鶴田をこう評した。
鶴田はミュンヘン五輪レスリング日本代表の金看板をひっさげ1972年に全日本プロレスに入団。73年の日本デビュー時からメインイベンターとして活躍し、海外の大物レスラーとも互角の闘いを展開。80年代からはジャイアント馬場の後継者として全日本の絶対的なエースに君臨したが、抜群の運動能力と体格に恵まれながら、どこか常に余裕を見せた闘いぶりから野心が感じられず、人気の面で天龍源一郎や長州力の後塵を拝してきた。
ところが90年に天龍を始め多くのレスラーが新団体SWSに移籍。全日本が危機を迎えると、鶴田はタイガーマスクの覆面を脱いだ三沢光晴ら立ち向かってくる若い選手たち相手に、眠れる獅子が目覚めたようなファイトを展開するようになり、その圧倒的な強さがファンに支持されついに人気爆発。早熟の天才がデビュー19年目、40歳を迎えて大ブレイクをはたしたのだ。
前置きが長くなったが、ここから本題にはいる。そんな鶴田と同じように、じつは「早熟なのに大器晩成」なのではないかというレスラーが現代のプロレス界にもいる。DDTプロレスリングの竹下幸之介だ。
高校生レスラーからDDTの絶対的な存在へ
竹下は2012年8月、17歳の高校生レスラーとしてDDT日本武道館大会という晴れ舞台でデビュー。“ザ・フューチャー”の異名で早くから将来を嘱望され、2016年に団体の看板タイトルであるKO-D無差別級王座を21歳の若さで奪取し最年少戴冠記録を樹立。2018年には同王座の最多防衛記録を更新するなど、20代前半で押しも押されもせぬメインイベンターとしての地位を確立した。
昨年はKING OF DDTトーナメントとD王 GRAND PRIXという2大大会を制し、8・21富士通スタジアム川崎大会で秋山準を破りKO-D無差別級王座に返り咲くなど、団体内グランドスラムと言える活躍を見せ、2021年度の東京スポーツ新聞社選定「プロレス大賞」で敢闘賞を受賞。今やDDTで絶対的な存在になっている。
なぜ“賞レース”に縁がなかったのか?
ただ、デビュー以来これだけの活躍を見せながら、竹下が「プロレス大賞」で賞を取るのは新人賞以来8年ぶり。これまで不思議なほど賞レースに縁がなかった。その点について、竹下はこう語る。
「新人賞を獲って以降、僕自身『今年は獲っただろうな』っていう手応えがあった年が8年の間に3回はあったんですよ。でも、ノミネートはされるものの獲れなくて。ずっと『(受賞者に)俺は負けてないな』という思いを抱いていた。それが2021年は敢闘賞が獲れたということは、いわゆる“プロレス大賞を獲るような団体”とようやく同じフィールドに立てたというか、同一線上に見られるようになったということでしょうね」