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W杯への大一番を前に…遠藤航が戸田和幸と語ったボール奪取力の極意 ブンデスでのデュエル1位は「正直、自分でも驚きましたね」
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byTakuya Sugiyama
posted2022/03/13 11:01
今や日本代表の中盤に不可欠な遠藤航。解説者の戸田和幸氏と奥深いデュエルとボランチ論を話し合った
「あの試合でシステムが(4-3-3に)変わったことに関して、個人的にはすごくポジティブでした。フレッシュな選手たちも入ってきて、勝てれば良くなっていくだろうなっていうイメージができていた。もちろん、やるしかない状況でしたけど、短い準備期間に関しては、ネガティブではなかったですね」
フレッシュな選手とは、守田英正と田中碧の元川崎フロンターレコンビ。彼らがインサイドハーフとしてプレーするようになってからビルドアップやボール保持の安定感が増し、チームは白星を重ねていく。
02年の日韓W杯にボランチとして出場しているだけに、やはり戸田氏が気になるのは、中盤3人の関係性だ。試合中に3人がポジションを入れ替わることが少なくないため、「何かしら取り決めがあるような気がするんですけど、基準はあるんですか」と問いかける。
「ああしたら、こうする、といったものはまったく決まっていないんです。個人的にはできるだけピボット(ピッチ中央、チームの軸)のところに立つことを意識しつつ、インサイドハーフの碧やモリが落ちてきて受けるシーンが多いので、2人の動きを見ながら自分がポジションを変える感じです。碧が来たら、自分が高い位置を取ろうかなと」
最終ラインからボランチに転身した共通点
テーマは移り、ボランチ論&デュエル論へ。
実はこのふたり、最終ラインの選手としてプロキャリアをスタートさせ、その後ボランチに転身したという共通点を持っている。
戸田氏が左サイドバックからボランチにコンバートされたのは、日韓W杯が開幕する1年前、2001年シーズンの開幕直前だったという。
ぶっつけ本番で臨んだゼロックススーパーカップで好パフォーマンスを披露してボランチに定着すると、その約1カ月後にはボランチとして日本代表に選出される。
「自分にできることは何かと考えたら、相手のキーマンを抑えて、素早くうまい選手にボールを渡す。前と後ろをつなぐというより、防波堤になって、『僕がここで攻撃を食い止められなかったら』という思いでプレーしていました」
若き日の遠藤は戦術や立ち位置への理解が低かった?
一方、遠藤がボランチでプレーすることになったのは、14年に立ち上げられたリオ五輪代表チームだった。
「手倉森(誠)監督がチーム立ち上げのときに『ボランチで使いたい』と言ってくれて。正直、プロでボランチができるのかと思いましたけど、自分にできることをやろうと」
意外にも、当時は戦術や立ち位置についての理解が低かったという。