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オリンピックへの道BACK NUMBER
高梨沙羅と五輪の涙…世界一のジャンパーが自問自答してきた“なぜ五輪で勝てないのか?”「化粧、服装もそう。人間力を高めるため」
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAFLO
posted2022/03/11 17:46
北京五輪後すぐにW杯に参戦した高梨。1戦目リレハンメル大会で優勝すると、2戦目のオスロ大会も表彰台に入った
1本目は3位。最終的に4位に終わったソチ五輪と同じ順位だった。でもそこからは明らかに違っていた。
2本目、テレマークもしっかり決めて着地すると、両手を高々と突き上げ力強くガッツポーズ。そのまま両手を身体の前で合わせた。ブレーキングトラックでは、オレンジのウェアに身を包んだ先輩の伊藤有希が待っていた。抱き寄せられた瞬間、涙があふれた。
「ほんとうにここに来て、いちばんいいジャンプが飛べたというのが、自分の中でも瞬間的に分かりました」
何よりも4年前と違ったのは、自身の心持ちだった。
「(ソチでは)スタートゲートに立ったとき、自分の足じゃないような感覚でした。今回も不安や緊張はありました。よからぬことも考えました。でも今回は自分の足で、しっかりとスタートゲートに立てました」
克服はできた。でも、届かなかった“世界一”
自身の力を発揮できた。4年前の自分を克服することができた、と思えた。ただ結果は銅メダル。4年間、誠実にジャンプと向き合い、それでも世界一に届かなかった。
「やはりまだ、自分には金メダルを獲る器はないと思わせてくれました。次の4年間で、金メダルを獲れる器になっていくしかありません」
すぐさま次を見据えた高梨が取り組んだのは、培ってきた技術を投げ捨て、いちから、いや、ゼロからもう一度組み立てていく作業だった。土台を壊すのは怖い。しかも長年、磨いてきたものだ。でも、このままなら世界一にはなれないことも理解している。だから踏み出した。
平昌五輪の翌シーズンから2シーズン、それまで7季続いていたワールドカップ総合3位以内の記録は更新できなかった。改革がすぐさま結果につながるわけではないことは分かっていても苦しかった。
ようやく兆しが見えたのは2020-2021シーズン。最後まで総合順位で1位を争い、2位で3季ぶりに3位以内に入れた。
「この4年で変わった自分のジャンプを見てほしい」
今シーズンは年明けのワールドカップで優勝。やるべきことをやれたという思いが込められた北京五輪への意気込みも力強かった。高梨もスポンサーによるインタビューでもこう答えている。
「平昌オリンピックを終えてからの4年間は、自分の新しいスタイルを作るためにゼロからのスタートでした」
「北京では、この4年で変わった自分のジャンプを見てほしい」