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オリンピックへの道BACK NUMBER
高梨沙羅、小6で異例の代表候補合宿に参加「静かでおとなしい子」「球技は下手くそ」…なぜ世界一のジャンパーになれたのか?
posted2022/03/11 17:45
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
AFLO
2018年2月12日。平昌五輪の開会式から3日後、女子ジャンプ・個人ノーマルヒルが終了してしばらく経って、会場の喧噪もやんでいた。そんな時、尋ねた。
“4年後の自分が、今の自分に言葉をかけるとしたら?”
高梨沙羅が穏やかな表情とともに答える。
「『楽しんで飛べたよ』って言いたいです」
あれから4年――。あの言葉が再び、脳裏をよぎった。
20年近くの時間を経て「もう私の出る幕ではないのかも」
五輪の高梨沙羅は、多くの人に涙とともに記憶されているだろう。
北京五輪の個人ノーマルヒルは、表彰台にあと一歩届かず4位。混合団体では1回目にスーツが規定違反とされ失格。ショックの大きさを露わにした高梨はそれでも2回目に出場したがチームは4位という成績で終えた。
1回目で失格になったことを知った直後は泣き崩れ、2回目ではおそらく涙が止まらない中での飛行だったろう。着地後も涙を流し続けた。
異例だった上位チームで続出した違反による失格処分をはじめ、チームへの責任を思わせる姿に、どうしても混合団体がクローズアップされている。
でも大会を終えて今、しばしばよみがえってくるのはノーマルヒルだ。
「もう私の出る幕ではないのかもしれないなという気持ちもあります」
この一言は、20年近くに及ぶ時間が込められていたからこそ、痛切に響いた。
ナショナルチーム合宿にポツンといた12歳の少女
手元に1枚の写真がある。2008年12月のある日の1枚だ。
ブルーを基調としたジャージ姿の選手が多くいる中、真ん中に一人だけ赤いジャージを着た選手が映っている。選手たちが楽しそうに会話したり、ポーズを作る中、撮影が終わるまで両手を膝にそろえ、飽きた様子も見せず座り続けるのは、小学6年生の高梨である。