- #1
- #2
オリンピックへの道BACK NUMBER
高梨沙羅、小6で異例の代表候補合宿に参加「静かでおとなしい子」「球技は下手くそ」…なぜ世界一のジャンパーになれたのか?
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAFLO
posted2022/03/11 17:45
当時13歳の高梨沙羅。12歳からナショナルチームにも参加し、多くの人がその才能を評価してきた
名だたるジャンパーたちも認めるポテンシャルと技術。中学3年生だった本人に身に付けられた理由を尋ねると、戸惑いながら答えてくれた。
「うーん、なんでだろう……。練習しているから、というのはあると思うんですけど」
強いてあげるとしたら、ジャンプへの情熱と、それに裏打ちされた努力なのだろう。
ジャンプは怖い。でも「鳥のように飛べるのが楽しかった」
そもそも高梨は初めてジャンプ台に上がった日をはっきりとは覚えていないという。ただそのときの感情だけははっきり記憶している。
「飛ぼうとするとき、怖かったのは覚えています。でも、飛んでみたら楽しかった。飛ぶ前は怖かったのに、飛んだら、ほんとうに楽しかったんです。飛んでいるうちにどんどん楽しくなりました。鳥のように飛べるのが楽しかったんです」
「鳥のように」。中学生の高梨から聞いたこの言葉を、のちに何度も聞くことになった。
鳥のように、もっと飛びたい、遠くまで飛びたい――。その思いをおろそかにすることはなかった。
「試合でも練習でも、1本1本、大切にしたいんです」
そう、試合でも練習でも、ジャンプに向ける集中力こそ、輝いていた。1本飛び終えて、リフトでスタート位置に上がるときは、他の選手のジャンプを一心に見つめていた。地道に、たゆまぬ積み重ねが形作ったものこそ、誰もが認める技術であり、誰もが驚く成長にほかならない。
誰よりも真摯にジャンプと向き合ってきた高梨は、高校1年生になった2012-2013シーズン、ついにワールドカップ総合優勝を果たす。世界選手権こそ個人ノーマルヒルは銀メダルだったが、混合団体戦では好ジャンプを披露して金メダル獲得に大きな役割を果たした。
「団体戦で優勝できて、とてもうれしかったです」
メンバーの1人に選ばれ、その責任を果たせたこと、みんなで喜びを分かち合えたことがうれしかった。
記念すべき1年を終えた高梨は、待ちに待ったシーズンを迎えることになった。
<#2へ続く>
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。