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オリンピックへの道BACK NUMBER
高梨沙羅、小6で異例の代表候補合宿に参加「静かでおとなしい子」「球技は下手くそ」…なぜ世界一のジャンパーになれたのか?
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAFLO
posted2022/03/11 17:45
当時13歳の高梨沙羅。12歳からナショナルチームにも参加し、多くの人がその才能を評価してきた
北海道・名寄でのナショナルチーム合宿に高梨は小学生としてはただ一人、参加していた。日本代表でも強化選手でもなかった高梨がいたのは、当時のナショナルチーム・チーフコーチの誘いを受けてのことだった。
「飛んでいるのを見ていても、結構上手いし、小学6年生だといっても、年代が上の選手と比べても遜色のない、良いジャンプをするんですね。これは面白いんじゃないかと思ったし、先々のことを考えてもいい機会じゃないかと」(当時のナショナルチーム・チーフコーチ)
練習の合間の昼食では比較的歳の近い中学2年生(当時)の伊藤有希の向かいに座り、ラーメンとおにぎりを頬張りながら、おどけたように会話をする姿があった。ただ練習となると表情は一変する。
コーチの言う通り、中高生どころか20代の選手と比べて遜色はなかった。ジャンプ台に移動するときには自ら大きな荷物を抱えて上がり、すべて一人でこなす姿があった。小学6年生にしてその真剣な表情に、甘えは一切感じられなかった。
そして、コーチの目に間違いはなかったことはすぐに証明される。
そのシーズンから国内の大会で好成績を残し、早くも国際大会に出場。中学2年生のときには、その名が全国に知れ渡ることになる。札幌・大倉山ジャンプ競技場でバッケンレコード(そのジャンプ台の最長不倒距離)となる141mを記録し優勝したのだ。その後、世界選手権にも出場し6位入賞を果たし、中学3年生で早くもワールドカップ初優勝を達成するまでになった。
父、金メダリスト、コーチが語る“高梨沙羅の凄さ”
目覚ましい活躍を見せる中学生の高梨を、長野五輪団体金メダルをはじめ数々の成績を残してきた原田雅彦はこう評していた。
「助走のスピードを無駄にしないで踏み切れる。お手本のようなフォームと言っていいかもしれません」
では何が「お手本」のフォームを培ったのか。元ジャンパーであり高梨に手ほどきをした父の寛也さんに尋ねたとき、回答に困っていたのが印象的だった。
「別に特別なところはないと思うんですけれどね。基本に忠実に、基本を大事にして練習してきただけで……」
寛也さんいわく「静かでおとなしい子」だった。スポーツそのものが得意なわけでもない。高梨自身も「体育は好きです。でも得意ではないです。球技が苦手なんです。バスケットボールとかサッカーとかドッジボールとか、苦手です」と後に明かしている。高梨を小学生時代から知る元日本代表の山田いずみも同意した。
「たしかに球技ができるかと言ったら、できない。下手くそですね。ただスポーツ全般はともかく、ジャンプに関しては器用なんじゃないかと思います。案外、初めての動きをやらせても早くできるようになる。頭で考えてきちんと理解するとできてしまうんです」