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PL敗れる…「おい、清原も人間だったなあ」怪物から“3三振”を奪った県立校エースが怯えた空振り《仲間も知らないセンバツ秘話》
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byKatsuro Okazawa/AFLO
posted2022/03/21 17:01
伊野商・渡辺智男に三振を喫して悔しがるPL学園・清原和博
4回無死一塁。清原の2打席目は3ボールになった。解説者はこう伝えた。
〈一発が出れば同点の場面、慎重になるのはわかりますけどね……〉
そこから3球ストレートで三振を奪った。怪物のバットはまた空気を切り裂いた。マスクをかぶる柳野は清原に投げるたび、どんどんスピードを上げていく渡辺の球を必死で捕りながら思った。
「清原さんの時だけ見たこともないようなボールがきていた。ああ、やっぱり今まで智男さんは加減してくれよったんやな。8割くらいの力で投げていたんやな。恐ろしい人やなと思いました」
そして少し心配になった。このままでは渡辺の肘が壊れてしまわないだろうか、と。
ただ解説者も柳野も、渡辺の心境を言い当ててはいなかった。
「慎重に行くとかボール球にするとか、そんな余裕なんてなかった。最初の空振りが頭から消えなくて……。いつ打たれるかわからない、と。そればかり考えていました」
エースを追い立てていたのは変わらず1人の男への恐怖だった。「最初から決まっている勝負などない」。戦前、渡辺の奥底にそんな反骨があったのは確かだ。だが、たった1つの空振りがすべてを吹き飛ばしてしまった。そのスイングは投手に「もし当たったら……」という想像を強いた。頭から離れないその怖れを振り払い、抗ううちに渡辺の肘はかつてないほど強く、鋭くしなっていた。
伝説の3球勝負「早くこの打席を終わらせたい」
3-1とリードして迎えた終盤、ベンチの山中はすでに確信を得ていた。
「1点差にされた直後の6回、すぐ3点目を取った。その時にこいつらやるかもしれんと思いました。PLとか関係なく勝負を楽しんでいるようだった。智男も絶好調で『抜くな』なんて言う必要はありませんでした」
8回裏2死一塁。清原が4度目の打席に立った。抑えれば勝ち。当たれば同点。渡辺は監督や仲間たちから隔絶された恐怖のまっただ中でひとり、自分の鼓動を聞いていた。
初球。ボール球になるスライダーに手を出した。2球目。外のストレートにタイミングが合わない。2つの空振りで追い込んだ。怪物は青ざめていた。追い込まれているのは明らかに清原の方だった。だが、渡辺にはそれすらもわからなかった。
3球目。これまでにない感触が渡辺の指に伝わった。146kmの速球がベース板の端を通過した。清原は途中までバットを出しただけ。振り切ることすらできなかった。球審の右手が上がる。息を呑む甲子園。怪物は悔しさのあまりバットを地面にたたきつけた。試合の決着がついた瞬間だった。
PL敗れる。清原3三振。その衝撃は全国を駆け巡った。柳野は最後の打席、3球勝負にいった理由をこう打ち明ける。
「常識なら相手は4番ですから2ストライクからボール球になる変化球を挟むべきですよね。僕もそう教育されてきました。でも、あの時はとにかく早くこの打席を終わらせたい一心でした。配球なんて考えられない。あの人がバットを振る回数を1球でも少なくしたい。とにかく怖かったんです」
清原のスイングを最も近くで感じていた柳野もまた渡辺と同じように……いや、ある意味では渡辺以上にその恐怖に追いつめられていたのだ。
渡辺はすべてが終わった後、ようやく自分に何が起こっていたかを知った。
「最後の球は僕のベストボールです。自分がここまで投げられるんだ、こんな力が出せるんだと、終わってから気づきました」
清原のバットにかすらせもしなかった全19球。肘のことは忘れていた。渡辺は気づかないうちに鎖を断ち切っていた。それは14歳のあの日から自分で自分を縛っていた「諦め」という名の鎖だった。清原という怪物に対することで、自分に宿る本当の力を解き放ったのだ。