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PL敗れる…「おい、清原も人間だったなあ」怪物から“3三振”を奪った県立校エースが怯えた空振り《仲間も知らないセンバツ秘話》
posted2022/03/21 17:01
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
Katsuro Okazawa/AFLO
※全2回の後編/前編へ。肩書きなどは掲載時のまま
PL学園戦の朝。渡辺と中妻は甲子園に到着すると、いつものように2人で鼻歌を歌いながら入っていった。
残りわずかなこの刻を♪ ああ抱きしめて、ふたりの大阪♪ ラスト・ダンス♪
都はるみの「ふたりの大阪」を口ずさむエースと主将の姿が伊野商を象徴していた。彼らには失うものなどなかった。
一方で、PLの多くの選手は眼前の敵が目に入っていなかったという。高知からきた初出場の県立校はユニホームをきちんと着こなせていなかった。相手エースはメガネをかけており、それがズレていた。絶対に勝てる――。名門のベンチをそんな空気が支配していた。中には優勝後の表彰式を話題にする選手もいたという。
「おい、清原も人間だったなあ」
午前10時59分、試合が始まった。
1回表、1番の中妻が桑田の速球をたたくと相手の二塁手が弾いた。伊野商はPLの2つのエラーをきっかけにいきなり2点を先制した。やれるかもしれない。中妻が抱いた予感はすぐに手応えへと変わる。
2回裏、無死走者なし。打席に清原。渡辺との初対決だ。右打席にそびえる怪物はテレビで見るよりもずっと大きかった。初球、糸を引く速球がミットに収まる。センターを守る中妻からはエースの背中がPLの4番に負けないくらい大きく見えた。
「あいつ高知や四国ではおそらく7割、8割で投げていたんでしょうね。あの試合は明らかに気合が入っていたし、清原の時はいつも出していない力を出していました」
フルカウント。内角高めのストレートに清原のバットが空を切った。かすりもしなかった。豪快な空振り三振。後続も断ってベンチへ戻ると、中妻ら野手陣は興奮を抑えきれずに渡辺に駆け寄った。
「おい、清原も人間だったなあ」
「智男、お前の方が上や!」
もう戦前の諦めなどどこかに吹き飛んでいた。中妻はいつもにやにやと笑いながらベンチに戻ってくるエースが真剣な表情だったのを見て、頼もしかった。
だがこの時、渡辺は仲間たちの知らない感情に支配されていた。
「僕は怖かったんです。清原の1打席目の空振りを見た時に『当たったら間違いなくスタンドまで行く』と思いました。だから抜いてなんかいられなかった。とにかく全球、めいっぱいでいくしかなかった」
それは恐怖だった。1つの空振りによって刷り込まれたホームランの幻影。それが渡辺を1人だけ、まったく別の世界に引きずり込んでいた。エースは笑わなかったのではない。笑えなかったのだ。