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アシマ夫人「イヴァンは話したくないと思います」旧ユーゴで戦火に翻弄されたオシムが、ウクライナ情勢に触れたがらない理由
posted2022/03/04 11:00
text by
田村修一Shuichi Tamura
photograph by
AFLO
イビチャ・オシムの自宅に電話をしたのは先週の金曜日(2月25日)だった。今年になって初めての電話である。2月1日のワールドカップアジア最終予選、対サウジアラビア戦の際は、オーストリアで生中継するテレビ局を見つけられなかったために敢えて連絡をとらなかった。アシマ夫人によれば、わかったのは結果だけであったとのことだった。
この日、オシムは外出して不在だった。天気もよく、15分ほど前にシュトゥルム・グラーツのクラブハウスまで散歩に出かけたという。治療で定期的に医者の元に通う以外で、オシムが外に出るのは久々のことであり、夫人は彼がのんびりと外の空気を吸うことを心から喜んでいた。家にこもりがちと聞いていた私も、オシムが自ら外に出る気になったことを嬉しく思った。
ただ、電話をかけた目的――ロシア軍の侵攻が始まったウクライナ情勢についてオシムの感想を聞くこと――を伝えると、夫人の答えは消極的だった。
「イヴァンは話したくないと思います」
政治が戦争を引き起こすこと。政治家たちのエゴにより人々は抗い得ない大きな渦に巻き込まれ、惨禍に対してまったく無力であることを、オシムは誰よりもよく知っている。
ユーゴスラビア内戦での体験
1990年代初頭の旧ユーゴスラビア内戦でそのことを嫌というほど思い知らされ、「代表監督を辞任するのがサラエボのために私にできる唯一のこと」というコメントとともにユーゴ代表から離れ、サラエボ包囲戦では家族との連絡が2年間途絶えたオシムにとって、他の戦争や惨禍に対してコメントするのは、たとえ相手にその意図がないにせよ政治的あるいはメディア的に利用されるのと同義だった。人道的な見地からの質問でも、そこに大きな違いはないのだろうと思う。
それでもオシムが何をどう考えているのかを、ダメモトでも聴きたかった。いずれにせよ翌日また電話をするかも知れないと夫人に伝えて電話を切り、翌土曜日、浦和レッズ対ガンバ大阪戦の取材から帰宅して再び電話をかけた。受話器を取ったアシマ夫人は、いつものように「あまり長くならないように」とひとこと釘を刺しながらオシムに電話を繋いでくれた。