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オシム「美しさはないが、何度も…」巻誠一郎→我那覇和樹が泥臭く決めた一撃を“代表ベストゴール”と称えた理由
text by
田村修一Shuichi Tamura
photograph byTamon Matsuzono
posted2022/03/29 06:01
オシムジャパンのセンターフォワードとして活躍した我那覇和樹
標高2300mも「勝ったことに意味があった」
猛暑のジェッダで消耗した選手たちは、標高2300mのサナアに入ってからも十分に回復したとはいい難かった。
「だからこそ勝ったことに意味があった。自分たちのプレーが効果的にできなくとも、最後は違う戦い方、気持ちの強さを見せて結果を得ることができたのだから」
代表監督となったオシムが打ち出したのが「サッカーの日本化」だった。それはジェフ市原時代に彼が標榜した「走るサッカー」をさらに進めたものだった。
ジェフで彼が実践し選手に求めたのは、欧州のトップクラブと同等の、クオリティの高いスプリントだった。コレクティブなディシプリンをベースに彼らと同じように走れば、それなりの選手でも彼らのレベルに近づける。チームとして同じ質のプレーができる。「走る」という言葉にはそんな意味が込められていた。実際にジェフは、異次元のチームに作り変えられた。
「遠藤、憲剛、俊輔が有機的に反応した時に……」
「走る」選手たちによる「サッカーの日本化」。それは遠藤保仁や中村憲剛、中村俊輔に質の高いスプリントを求めると同時に、彼ら3人の卓越したテクニックと創造力をそこに融和させることであった。
「3人が有機的に反応したときに、どんなプレーが生まれるのかを見てみたかった。そのために献身できる選手、チームメイトのために走れる選手を集め、彼ら3人にも同じことを要求した。直接語りかけるのではなく、メディアに向けて彼らに苦言を呈するという間接的なメッセージの形で」
翌年7月、東南アジアの酷暑のなかでオシムジャパンはクオリティの高さを見せつけた。もしも1次リーグから準決勝までの会場が、4カ国の中でも飛び抜けて蒸し暑かったベトナム・ハノイでなかったら、決勝を賭けたサウジアラビア戦も異なった結果になっていたかも知れない。だが、日本は2-3で敗れ、アジアカップ3連覇の夢は絶たれた。