テニスPRESSBACK NUMBER
皇室とテニス「美智子さまとペアを組んで…」「いいフォアーハンドをドンドン打たれる」招待選手たちが明かす“上皇ご夫妻との秘話”
text by
山口奈緒美Naomi Yamaguchi
photograph byJIJI PRESS
posted2022/02/23 06:00
東京麻布の東京ローンテニス・クラブでテニスを楽しまれる明仁上皇・美智子上皇后両陛下(ご成婚前)
「入口のところで名前だけ言って、確かそのまま通してもらえたのですが、もっと厳重なセキュリティチェックをされると思っていたので、こんな感じで大丈夫なのかと逆に心配になったのを覚えています。試合で僕の出番はなく、秋篠宮様やご学友がプレーされているのを見ていただけなんですけど。補欠要員だったんですかね」
そう言って苦笑いしたが、それも誇らしい思い出に違いない。
当時、主にメンバーを集めていたのは、福井さんの話にも出た坂井さんだった。元は日本を代表する選手、デ杯の監督もフェドカップの監督も務めた坂井さんは、テニスのお供だけでなく、たとえば忘年会のような場にも招かれる、限られたテニス関係者の一人だったらしい。
明仁上皇がテニスを始められたのは13歳のとき
そんなテニスと皇室の密接な関係の始まりは、戦争の傷跡もまだ消えない1947年(昭和22年)まで遡る。上皇様は、13歳だったこの年に硬式テニスを始められた。それまで乗馬や弓術のほか軟式テニスの経験はあったものの、「テニスをやるなら、国際的な硬式を正式に習うべき」と、東宮御教育参与だった小泉信三氏が勧めたともいわれる。立派なスポーツマンシップを身につけるという目的もあった。
慶應義塾長を13年間務めていた小泉氏は、慶應テニス部出身で三菱地所に勤務していた石井小一郎氏をコーチとして抜擢した。石井氏は、毎週1回、3、4時間の指導を行い、その経験をのちに著書『テニスと私』の中で『皇太子殿下テニス日記』として綴っている。
「いいフォアーハンドをドンドン打たれるので感心した」
日記は1947年10月6日の最初のレッスン日に始まるが、往年の名選手の名も次々と出てくるエピソードはとても興味深い。たとえば、1948年の1月15日の一節。
「この前はテニスの歴史から始まって、有名なデヴィスカップ試合の話とか、いろいろの国際試合における日本選手の活躍状況などをお話し申上げたので、今日はテニスのルール、コートマナー、試合の時の心得、試合に際し立派なスポーツマンシップを発揮した内外選手の実例などをお話しした。なにぶん、話の泉でなく話の水たまり程度なので、あまり面白いお話も申し上げられず、恐縮した。そこで、この次は熊谷一弥氏にお願いして海外の実戦談を伺うことにした」(原文ママ)
熊谷はアントワープ五輪での銀メダル獲得で日本オリンピック史上最初のメダリストとして知られる。また、同じく1948年の6月13日。
「かねてからいい試合を殿下にご覧に入れたいと思っていたが、今日それが実現した。藤倉、鶴田、中野、隈丸の四君に来てもらって、単・複各1試合を見ていただいたのだ。その後、藤倉、中野が殿下の乱打のお相手をした。相手がデ盃選手だろうが恐れることなく、平生通りにおやり下さいと申上げたところ、いいフォアーハンドをドンドン打たれるので感心した」(原文ママ)