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皇室とテニス「美智子さまとペアを組んで…」「いいフォアーハンドをドンドン打たれる」招待選手たちが明かす“上皇ご夫妻との秘話”
text by
山口奈緒美Naomi Yamaguchi
photograph byJIJI PRESS
posted2022/02/23 06:00
東京麻布の東京ローンテニス・クラブでテニスを楽しまれる明仁上皇・美智子上皇后両陛下(ご成婚前)
藤倉五郎も中野文照も隈丸次郎も、その前後でデ杯代表に選ばれたり全日本で優勝したりする日本のトップたちである。さらに、1950年4月24日。
「今日は上京中の原田武一先輩に来ていただいて、かつて、フランスのラコスト、コシェーを打ちまかしたウエスタングリップのフォアーハンドを殿下にご披露した。殿下も御一緒に乱打をされた。リストをもっと使うようにと原田氏はいうが、殿下の場合はちょっとまだ研究の余地があると思う」(原文ママ)
原田は、1926年のデビスカップでフランスの四銃士と呼ばれた中のルネ・ラコステとアンリ・コシェに連勝した実績があるのだ。
コロナ、皇族の減少…トップ選手とのご交流はなくなった
これらはほんの一部の名前。日記が生き生きと蘇らせてくれる通り、本格的なテニス教育が行われ、テニス選手との懇親の伝統も長く続いた。上皇・上皇后両陛下、天皇陛下、秋篠宮殿下は皆1900年に創立された東京ローンテニスクラブの名誉会員だ。また、秋篠宮殿下は1992年に日本テニス協会の名誉総裁に就任し、2015年に眞子様、そして昨年は佳子様へと引き継がれている。しかし一方で、かつてのようにトップ選手が御所へ参ずるということはなくなった。
「お年をとられてきたことと、皇族の減少で以前よりご多忙になったことも関係あるかと思いますね」と坂井さんは、時代の変化を感じて少し寂しそうだ。
そのなんとなく寂しい距離感に今はコロナ禍が追い討ちをかけ、今年も2月23日の天皇誕生日の一般参賀は実施されないという。この一般参賀が行われるようになった1948年は、前年に皇居内に作られた『パレスクラブコート』が全日本選手権の会場として初めて使用された年でもある。皇室とテニスは戦後の新しい時代をともに歩み、自由で豊かで社交的なイメージを互いに高め合ってきた存在だったといえるのかもしれない。