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「全然オーラが違ってました」高橋尚子に敗れた4人の名ランナーが語る“凄まじさ”…名古屋国際女子マラソンから連勝街道は始まった
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph byAFLO
posted2022/03/13 06:00
1998年、名古屋国際女子マラソンにて初優勝を果たした高橋尚子
ペースメーカーもいない中でも圧勝してきた
冷静に歩みを振り返り、ここがターニングポイントだったと後で気づくことがあるが、高橋にとってはこのレースこそがまさに転機であっただろう。小さなブレイクスルーを経て、高橋は時代の寵児となるべく、ここから連勝街道をひた走っていく。
同じ年の12月、バンコクのアジア大会に出場し、高橋は金メダルを獲得した。弘山は一緒に走った名古屋よりも、このバンコクのレースを強く心に留めていた。
「あの大会は気象条件がすごく悪かったんです。連日、気温が30度を超えていて、走った選手はみな『サウナの中で走っているみたいだ』って言っていた。その中で日本記録を大幅に上回る21分台ですからね。やっぱり小出さんの言ったことは本当だったんだなって。あれは名古屋以上にみんなが驚いたレースだったと思います」
気温30度以上、湿度が90%を超える悪条件下で、高橋はアジア最高、世界歴代5位の記録(2時間21分47秒)を打ち立てる。しかも、スタートから独走し、風よけになるペースメーカーもいない中で2位に13分8秒差をつける圧勝だった。
ライバルたちの衝撃「全然オーラが違ってました」
「アジア大会の高橋さんの走りは衝撃的で、私もよく憶えてます」
そう語るのは、高橋より3つ年下の大南博美だ。その当時、双子の妹・敬美と共に東海銀行女子陸上部に所属し、同時期に開催された全日本実業団対抗女子駅伝でチームを初の優勝に導くなど、高い能力が注目を集めていた。愛知県を拠点に練習する大南姉妹にとって、岐阜出身の高橋は否が応でも意識せざるを得ない存在だった。
「私たちは高卒で実業団に入ったので、それまでも大学生の高橋さんとは東海地方の大会で一緒のレースに出たりしていたんです。でも、アジア大会が終わった後とかにお目にかかると、全然オーラが違ってました。なんか輝いているというか、自信に満ちあふれている感じがして。体もすごく絞れているし、別人みたいでしたね」
駅伝優勝を区切りに、満を持してマラソンに挑戦した大南姉妹は、2度目のマラソンの舞台に2000年の名古屋国際を選んだ。くしくもその大会はシドニー五輪の日本代表選考を兼ねていて、高橋もエントリーに名を連ねていた。
その年の五輪選考レースは苛烈で、3枠の内1つは前年のセビリア世界選手権で銀メダルを獲得した市橋有里が内定。残り2枠を、東京国際女子マラソンを好タイムで優勝した山口衛里と、大阪国際女子マラソンで2位ながらタイムと内容が高く評価された弘山が争うという構図だった。そこに高橋がどう割って入ることができるか。マスコミの注目度は高かった。