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【没後23年】ジャイアント馬場「私、プロレスを独占させてもらいます。」ポスター撮影のカメラマンが語る“イタズラ好きの馬場さん” 

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原悦生

原悦生Essei Hara

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photograph byEssei Hara

posted2022/01/31 11:01

【没後23年】ジャイアント馬場「私、プロレスを独占させてもらいます。」ポスター撮影のカメラマンが語る“イタズラ好きの馬場さん”<Number Web> photograph by Essei Hara

筆者が撮影した全日本プロレスのポスター「みんなが格闘技に走るので、私、プロレスを独占させてもらいます。」のアザーカット

豪快なチョップに天龍は「全身がしびれたよ」

 1964年から1970年代の初めまでが馬場の全盛期だったのではないだろうか。私は馬場の全盛期はスポーツ紙やテレビで見ていただけだ。

 私が馬場を初めて撮ったのは高校生のとき、1972年夏、日本プロレス時代の後楽園ホールだった。しかしこのシリーズを最後に馬場は日本プロレスを離れ、その年の10月に全日本プロレスを旗揚げする。それから、もう50年の年月が流れようとしている。

 1979年8月26日、日本武道館で行われた「夢のオールスター戦」で、馬場とアントニオ猪木とのBI砲が一夜限りの復活をした。この試合で馬場はアブドーラ・ザ・ブッチャーを蹴り上げ、タイガー・ジェット・シンに16文キックを叩き込んだ。馬場の背中側からだったけれど、印象的な16文キックだった。

 馬場のチョップは豪快だった。胸板に叩き込むジャイアント・チョップ。頭に振り下ろした脳天唐竹割り。後に天龍源一郎は「あれは全身がしびれたよ」と笑った。

 ヤシの実割り、あるいはココナッツ・クラッシュと呼ばれた技も馬場らしかった。相手の顔を自分のヒザ上に当てて、巨人軍時代の投球フォームのように足を大きく上げてキャンバスを踏むものだった。相手が吹っ飛ぶさまにファンは歓喜し、声援を送った。

 全日本プロレス時代はブッチャー、ハーリー・レイス、スタン・ハンセンらと好勝負を展開した。そしてトップの座をジャンボ鶴田や三沢光晴に譲っていった。

「私、プロレスを独占させてもらいます。」

 ある日、夫人の馬場元子さんから私に電話がかかってきた。「馬場さんの写真を撮ってほしいんですけれど」という話だ。「ポスター用に馬場さんの葉巻姿を」というリクエストだったが「煙はいらない」という。

 意外なリクエストだったが、私はそれを受けた。

 撮影は全日本プロレスの事務所近くの六本木のスタジオで行った。駅貼りの大型ポスターに使用するものだった。「独占」というポスターが作られたのを覚えているファンもいると思う。後楽園ホールの最寄りである水道橋駅はもちろん、山手線内の駅にも貼り出された。

「みんなが格闘技に走るので、私、プロレスを独占させてもらいます。」というコピーと共に馬場が葉巻を手に笑っているものだ。全日本プロレスのリングを運ぶトラックにも大きくプリントされたので目立ったと思う。

「よくね、撮影で笑ってくれとか言われたんだけれど、昔は笑えなかったよ」

 そんなことを言いながら、馬場は静かに余裕の笑みを見せてくれた。

【次ページ】 絵画が趣味で、試合中にイタズラをする茶目っ気も

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