箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
31歳の“最初で最後の箱根駅伝”は区間20位…それでも今井隆生がレース後に語った2年間の全て「運と縁が重なった奇跡だった」
text by
荘司結有Yu Shoji
photograph bySankei Shimbun
posted2022/01/07 17:45
4区を走った駿河台大の今井隆生(31)。教師時代の元教え子である永井に襷を託した
「最後の最後に一番驚きましたね……。でも、箱根路で永井とタスキをつなぐことができたのは、本当に一生忘れられない、自分の中での人生の1ページになったと思っています」
「世間的にはキレイに映るかもしれませんけど…」
自分が注目されているのは走りでなく、キャリア――。箱根前には「体育教師ランナー」として耳目を集めることへの葛藤も口にしていた。一回り近く歳が離れたチームメートとのジェネレーションギャップに悩むこともあった。決して美談だけでくくることはできない時間だった。
「2年間、ありがとう。俺に謝ってきたら、ぶっ飛ばすから」
永井にタスキを渡し、監督車の徳本監督から労われた後、中継所で人目もはばからず号泣する姿に心動かされたファンも多いだろう。あの瞬間は何を考えていたのだろうか。今井は一瞬考え、こう話した。
「世間的にはキレイに映るかもしれませんけど、ものすごく苦しい2年間でした。異年齢集団というか、彼らから見た自分と、自分から見た彼らのギャップに悩むこともありましたし……。自分が若い選手だったら、僕という存在がどういう風に映るのかなって考えた時期もありました」
箱根駅伝のある意味過熱とも言える注目度の高さは、若いランナーを活性させる薬ともなるが、時に毒や麻薬にもなり得る。今井にとっても一時期は「毒」となりかけていたが、走り終えた今はうまく付き合える方法を見つけていたようだった。
「正直これだけ反響があるとは思わなかったので、戸惑うこともありました。だからこそ、今後はリアルな教育現場や教員の姿を、僕という媒体を通して届けられるのかな。これからは『選手の今井』でなく『一教師の今井』として、箱根を経験した後の姿を最後まで届ける責任があると思っています」
実業団に進むランナーは別として、卒業後は普通の社会人となる学生の“その後”はあまりフィーチャーされない。今井はオファーがあれば、教壇に戻った後も取材を受け続けたいという。
徳本監督に学んだのは「『教える』ではなく『引き出す』」
箱根挑戦のきっかけともなった心理学の勉強でも得るものがあった。箱根前に提出した卒論では、心理的競技能力診断検査「DIPCA(ディプカ)」を使ったチームの心理傾向を研究した。春先には浮き沈みのあったチーム内のモチベーションが、箱根が近づくにつれて高まっていったことがデータ化できた。一律ではなく、メンタルの浮き沈みに寄り添った指導が必要である――。教壇でも活かせる知見を得た。