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熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
母親の死に「岡田さんはすぐブラジルに戻れ、と…でも」悲しみを乗り越えW杯初出場 呂比須が語る現役秘話とFW育成への提言
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byJun Tsukida/AFLO
posted2022/01/11 11:02
フランスW杯出場にすべてを尽くした呂比須ワグナー。その功績は日本サッカー史に残っている
「日本では、クラブのアカデミーと高校、大学の部活動がプロ選手の主な養成機関となっているよね。高校、大学のチームの指導者は、誰もがプロ経験があるわけではない。元Jリーガーをコーチに招いたりして、彼らの経験、技術、戦術眼などをもっと活用するべきではないかと思う」
――日本のフットボール全体への提言をいただけますか?
「育成年代でもトップチームでも、もっと優れた指導者が出てこなければならない。僕もその一人となることを目指し日々、努力している。将来、また日本で監督を務めるチャンスをもらえたら、今度こそ成功させたい」
ケガの連続で両足首は異常に突起していた
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インタビューの途中で、「現役時代に故障が多かった」という話になった。
2002年、33歳で引退を決意する直接の原因となった左膝だけで5回手術をしており、今でも日常的に痛みがあるという。
足首、両手なども骨折しており、手術をしたのが9回。それ以外にも、空中戦で競り合った際にGKの膝が脇腹に入って肋骨を骨折したり、やはり空中戦でDFの頭が顔に当たって頬骨が折れたりと、手術できない箇所の怪我も多かった。「大きな故障だけで何回したのですか」と聞くと、かなり考えた末、「10数回かなあ」。両足首を見せてもらったら、異常に突起していた。
これらの故障は、ブラジルの貧しい家庭で育った少年が世界に羽ばたき、W杯(1998年)やコパ・アメリカ(1999年)で活躍する選手になる過程で授かった勲章なのだろう。
1994年、柏レイソルで「来年はもっと優秀な外国人選手を連れてくるから」と解雇を言い渡される屈辱を味わった。指導者となってからも、ガンバ大阪でわずか5試合、2カ月で解任され、この年、チームはクラブ史上初めて2部へ降格。アルビレックス新潟でもチームを降格させてしまい、その責任を取って辞任したが、事実上の解任だった。ブラジルでも、再三、解任されたが、挫けることなく這い上がってきた。これまで21回退団しながら22回のオファーを受けたことは、これまた勲章と考えていいのだろう。
本人は、自分のことを「日本人とブラジル人のミックス。ブラジル系日本人であり、日系ブラジル人なのかな」と語る。
日本的な生真面目さ、誠実さがある一方で、自己主張が強く、巡ってきたチャンスを絶対に逃すまいとするハングリー精神はブラジル人ならでは。
将来、この男が監督としてブラジルでビッグタイトルを手にすることができるのか。また、日本で選手としてのみならず監督としても大きな成功を収める日がくるのか――。雑草、呂比須ワグナーのたゆまぬ挑戦を見守りたい。<前編から続く>
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。