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「高卒1年目でもタクシーで帰っていて…」元ロッテ守護神・荻野忠寛が入団して驚いた《プロ野球選手のリアル》

posted2021/12/25 17:01

 
「高卒1年目でもタクシーで帰っていて…」元ロッテ守護神・荻野忠寛が入団して驚いた《プロ野球選手のリアル》<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

ロッテ時代の荻野忠寛。今は何をしているのか

text by

広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

PROFILE

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Hideki Sugiyama

プロ野球の世界で輝きを放った選手でも、ケガに泣き、競争の末に球界を去った選手は多い。ロッテで守護神を務めた経験のある荻野忠寛氏の今を追った(全2回/後編も)

 荻野忠寛は、1982年、東京都町田市出身、桜美林高校、神奈川大学、日立製作所を経て2006年大学、社会人4巡目で千葉ロッテマリーンズに入団、1年目から救援投手として活躍し、2年目はクローザーに。活躍期間は短かったが、小気味よい投球で「勝利の方程式」を担った。

 今は野球指導者として、主としてアマチュア野球界を中心に多方面で活動している。荻野忠寛に「プロ野球とはどんな世界か?」を語ってもらった。

◆◆◆

「僕は社会人2年目でドラフトにかかったのですが、それまで、プロ野球のスカウトは監督に会うだけで、僕と会うことはほとんどありませんでした。僕が初めて会ったのはプロ指名後でした。ただ、試合を見に来ているなとは思っていました。

 入団が決まっても、プロ入りまでにこんな練習をしておけ、みたいな指示はなかった。社会人ですから自分の体のつくり方はわかっているだろう、という感じでしたね。

 1月になって自主トレが始まりました。ロッテの二軍施設がある浦和の球場で、コンディショニングコーチの立花龍司さんがメニューを組んでくださって、それをこなしました。

 そして2月の春季キャンプ。オーストラリアのジーロングで僕は最初から一軍でした。監督はボビー・バレンタインでしたが、練習はこれまで経験したことがないものでした。時間でメニューが細かく区切られていて、グラウンドが何面もあるので、その都度移動することになります。

 誰かが説明してくれるわけでもなく、紙がポンと貼り出されてそれに従って動くだけです。コーチはみんな日本人でしたが、アドバイスはほとんどなくて、選手がそれぞれ考えながらメニューをこなしていくという感じでした。後から考えると、それも“ボビー流”だったのですが、アマチュアとは全然違うなと思いました」

初めて捕るのが怖いと思いました

 荻野はこのキャンプで、プロ野球の投手のすごさを実感することになる。

「ブルペンで他の投手の投球を見ても、アマとプロではこんなにレベルが違うのか、と茫然としました。コントロールも、球の力も全然違う。僕はそれまでキャッチボールで相手の球が怖いと思ったことはありませんでしたが、プロの投手とキャッチボールをして、初めて捕るのが怖いと思いました。

 スピードだけならアマでもプロと同じくらい投げる選手はいたと思いますが、とにかく速さを感じた。回転数も違ったかもしれないけど、それだけでもない。

 例えば渡辺俊介さんは、球速が130km/hを超えることはほとんどなかったし、ボールの回転数も多いわけではないと思いますが、とにかく速く感じた。成瀬善久のボールも本当に怖かった。球の力がアマチュアとは全然違うと思ったんです」

 しかし荻野はキャンプ、オープン戦を通じて高評価を得て、開幕一軍を獲得する。

【次ページ】 キャッチボールをやってみてプロと大きな差がある

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