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プロ野球PRESSBACK NUMBER
落合博満68歳に…35年前“初めての本”に落合が書いた本音「選手は、勝つための駒にすぎないんだ」「野球をやるなら東京に限るね」
text by
近藤正高Masataka Kondo
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2021/12/09 11:05
写真は1985年、パリーグ三冠王になった落合博満(ロッテ)とセリーグ三冠王のランディ・バース(阪神)。翌年も2人とも両リーグで2年連続三冠王に
有言実行の落合ではあるが、本書で掲げた目標には、達成したものもあれば、稲尾監督の胴上げのように果たせなかったものもある。なかには、本書で書いていたのとはまったく違う行動をその後とったこともあった。
たとえば、ロッテのあと中日の監督となった山内一弘について、ロッテのように自由にはできないだろうと断じたくだり。落合はその理由として《土地柄というか、名古屋、広島というのはひいきの引き倒しのようなところがあるからね。おらが故郷の選手ではないが、成績がよければいいで引っ張り回されるし、悪かったらケチョンケチョンだ。つまり、どっちにしても息抜きをする暇がない。/そういう意味では東京の球団はいい。やっぱり野球をやるなら“お江戸”に限るね》と書いているのだが、それから1年も経たない1986年のシーズンオフ、彼はほかならぬ中日にトレードされて名古屋に移る。もっとも、そこには稲尾が監督をやめたことが大きく影響していた。
本書で落合が掲げた目標のなかには、のちに“修正”したものもある。その一つ、NPBでは前人未到の「打率4割」について、本書ではその青写真として、ホームランを狙うのをやめて打率のみで勝負する構想を明かしていた。だが、巨人在籍中の1994年の著書『勝負の方程式』(小学館)ではこれをひるがえし、《首位打者だけを狙っていったら、四割は達成できると思っている。/しかし、それはしたくない》と書いた。それは三冠王への強いこだわりからであった。たしかに4割も打ってはみたいが、それは三冠を取るなかで解決すればいいことだと、このときには考えるようになっていたのである。
45歳まで現役…通算2371安打&510本塁打
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結局、落合は1998年に日本ハムを最後に現役を引退するまでに、打率4割も、4度目の三冠王を取ることもかなわなかった。しかし、本書で書いた《物事はうまくなろうと思ったら「なぜ?」からはじめなければいけない。オレの場合、こと野球に関しては人一倍貪欲だから、ユニホームを脱ぐまで「なぜなぜなぜ?」と自分に向かって言い続けると思う》との姿勢は一貫して変わらなかったはずだ。