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プロ野球PRESSBACK NUMBER
落合博満68歳に…35年前“初めての本”に落合が書いた本音「選手は、勝つための駒にすぎないんだ」「野球をやるなら東京に限るね」
posted2021/12/09 11:05
text by
近藤正高Masataka Kondo
photograph by
BUNGEISHUNJU
これも有名な話だが、落合の入団直後、ロッテの当時の監督の山内一弘と前監督の金田正一は彼のバッティングを見て「おまえはプロでは通用しない」と言ったという。たしかに当時のバッティングでは不思議なくらいボールが前に飛ばなかった。それでも彼は、《実際やってもみないうちから、そんなことわかるものかと思う反面、どうせダメなら自分の好きなようにやっていこうと思ったんだ。生まれつきの打法が、急に直るもんじゃないから、あくまで自分流でいこうとね》と、誰からの指導も受けず、先輩たちのバッティングを観察したりしながら一人で試行錯誤を繰り返すことになる。
ちなみに山内監督と落合は、本書を読むかぎりでは、世間で言われるほどには関係が悪かったわけではないようだ。ロッテという球団も選手に対し異常なほど自由放任だった。仙台への遠征では、早朝に釣りやゴルフに出かけ、午前中か昼すぎに宿泊先に戻ると、その夜の試合に備えて一旦寝るというのがパターンになっていたという。仕事さえちゃんとやっていれば、どれだけ遊んでいても黙認する空気が山内にもロッテにもあったということだろう。
落合が35年前に書いた「選手は、勝つための駒にすぎないんだ」
落合の若手時代は、ちょうど広岡達朗がヤクルト、さらに西武の監督として選手たちの意識改革に力を注いでいた時期である。食事のメニューにまで言及した広岡の厳しい指導法はマスコミから「管理野球」と称され、批判も多かった。
人からとやかく言われるのを嫌った選手時代の落合からすれば、広岡は敵に見えたのではないか……と思いきや、意外なことに本書では、「管理野球=広岡」というイメージはマスコミが勝手につくりあげたものと切り捨て、《広岡さんこそ監督の鑑(かがみ)だと思う》とまで評価している。その理由について《監督という立場の人は、勝つことに全精力をそそげばいいのであって、選手は、勝つための駒にすぎないんだ。正直なところ、あの人の“勝つ野球”はすばらしいと思った》と説明しているあたりは、後年、非情と言われるほど勝利に執着した監督・落合の片鱗をうかがわせる。
「東京の球団はいい。野球をやるなら“お江戸”に限るね」
ロッテの監督には山内のあと、山本一義を経て稲尾和久が就任する。本書によれば、落合が自分で本当に四番バッターになったと感じるようになったのは稲尾が監督になってからだという。落合は、稲尾監督をその任期である3年以内に必ず胴上げすると約束をし、ちょうど任期最後の年(1986年)に刊行された本書でも、何としてでも今年は優勝したいと記した。だが、結局それは実現できなかった。