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槙野智章のサプライズに感謝のイエローカード…主審・村上さんってどんな人? 帝京では礒貝とプレー、印象深いのは「本田圭佑の質問」
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byJ.LEAGUE
posted2021/12/05 11:05
今シーズン限りで国内トップリーグを担当する審判員を勇退する村上伸次。プロフェッショナルレフェリーとして、多くの試合を裁いてきた
「レフェリーにとって動体視力も大切ですが、私が一番大切にしていることは、頭の回転を落とさないこと。ボールホルダーがどこを見て、そしてどんなキックモーションで蹴ろうとするか。インサイドキックなのか、インフロントキックなのか、足のどこで蹴ろうとしているのか。それらを予測してボールの出所に向かって動くことが重要。
さらにレフェリーはもちろんボールも見ていますが、そのボールを奪いに行こうとするなど、チャレンジする選手も見ています。空中戦の競り合いも自分でボールの落下地点を読み取って、後はDFとFWの動きを注視し、そこに対して正確にチャレンジをしているかどうかを見ます。これら複合的なものを視野に入れながらの動きを繰り返すわけですから、常に頭をフル回転させながら動かないといけません。
その感覚を落とさないために、自転車やランニングで運動している時に周りを見て、歩いている人やランニングしている人、犬の散歩をしている人など、それぞれの次の行動を予測するんです。『あの人は次どちらに回るのかな?』、『もしかしたら止まるな』、『止まっているけど、もうそろそろ動き出すな』とか、間接視野で捉えながら頭をフル回転させています」
「また、この期間を有効活用すべく、VARの勉強会や、J1〜3の主審・副審のカテゴリー別に分かれて勉強会をするなど、運動と座学で身体と頭に刺激を入れるようにしています。今をネガティブに考えるより、今後に向けて準備を抜かりなくやり続けることが大事だと考えています」
度重なる試合の延期の中、村上氏は今後の過密日程も考慮している。
「もしかするとリーグ再開後は水曜日・週末ゲームの繰り返しになるとすでに4月から想定をしていて、今は水曜日の負荷を上げて、週末の土日にまた同じような負荷をかけるなど、トレーニング強度の起伏の間隔を狭くしました」
名門・帝京高校出身、礒貝らとプレー
村上氏は東京都出身。高校時代は名門・帝京高でプレーした経験を持つ。レギュラーこそつかめなかったが、森山泰行、礒貝洋光、本田泰人と錚々たるメンバーと青春を過ごした。その後、立正大学を経て、1992年に当時JFL2部の西濃運輸サッカー部(岐阜県)に入部。会社に勤務しながらCBとして西濃運輸でサッカーに打ち込むと、チームは94年に1部に昇格を果たした。
だが、97年に村上の人生は一変する。
J2誕生に伴い、当時のJFLのクラブはプロ化か、そのままJFLチームとして継続かの選択を迫られた。そこで西濃運輸が下した決断が「廃部」だった。
「この時、僕は28歳。『このまま選手を続けていても厳しい』と思ったんです。でも指導者という道はあまり考えられなかった。でも、まだ身体は動く。そこで審判の道に進むのも面白いのではないかと思ったのです」
村上氏はそのまま西濃運輸の社員として働きながら、審判としての活動をスタートさせた。2002年12月に1級を取得すると、03年3月29日のアビスパ福岡vs.川崎フロンターレでJ2初副審を経験。04年3月27日の横浜FCvs.モンテディオ山形ではJ2初主審を、05年12月3日のサンフレッチェ広島vs.清水エスパルスでJ1初主審を担当するチャンスに恵まれた。そこで、プロフェッショナルレフェリーとなって西濃運輸を退社。審判を志してから10年、07年のことだった。