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《祝27歳》応援団長・松岡修造が語る“羽生結弦の10年”「誰よりも苦しんでいるはず」「勝負師気質は上杉謙信とも重なる」
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byAFLO
posted2021/12/07 06:00
2018年2月、平昌五輪の日本選手団帰国報告会で羽生にインタビュー。テレビ番組の取材をはじめ様々な機会で、羽生の想いを聞き続けてきた
感じていることを巧みに言語化できる“スペシャリスト”
初めて羽生さんを取材したのは東日本大震災があった11年の秋でした。その時に聞いた「五輪で金メダルを獲ることが最終目標ではない」という言葉は深く印象に残っています。まだ五輪に出ていない、グランプリシリーズで勝ったことのない16歳の言葉に僕はただただ驚いた。けれども今は、あの時の言葉が羽生さんのすべてであるということがわかります。羽生さんは震災を体験したことで、被災された方々を元気づけることが自分の使命なんだと気づいた。その想いが羽生結弦という人を支えているのでしょう。
そして長年のインタビューの中で一番強烈だったのは、19年の世界選手権後です。羽生さんがチェン選手という人に対して“超本気”になった大会でした。以前の彼のライバルは自分自身。ところが、チェン選手という本当の意味でのライバルが出現し、スイッチが入りました。羽生さんの頭の中には、彼に勝つためにはどうしたらよいかということしかないのではと思います。後日、「チェン選手がいなかったらスケートを辞めているかもしれない」と言っていたほどですから。
多くのアスリートの中でも、感じていることを最も巧みに言語化できるスペシャリストが羽生さんです。豊かな感受性から生まれる言葉と、それを第三者的にまとめる力を兼ね備えています。ですから羽生さんへのインタビューは、まさに感性と感性のぶつかり合い。そういえば、平昌五輪で金メダルを獲った時に羽生さんは「自分はものごとを言語化するのも含めて、“変換する”のが得意なんです」と言っていました。変換するとは、自分の中に一度入れること。だから自分の言葉になります。それが“ゆづる語”であり“羽生語”です。自分の言葉だから伝わるのです。
15年は「“究極の羽生結弦”を出そうとしていました」
この10年で心身ともに最も成長したと感じたときが「羽生結弦が羽生結弦を超えた」15年のグランプリファイナル。あの時の彼は完全に“対・羽生結弦”でした。最高の自分に勝つためには羽生結弦をもっと知っていく必要がある。深い内省の時間をつくりながら、“究極の羽生結弦”を出そうとしていました。
そんな羽生さんをひと言で表すならば、「孤独」という言葉になると思います。やりたいこともたくさんある中で我慢をしながら、自分と深く向き合って競技を続けてきた。羽生さんの笑顔や明るさが魅力的なのは、どこか孤独を感じさせる部分が見え隠れするからであり、それこそが人間味です。そこに僕は惚れているのです。