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《祝27歳》応援団長・松岡修造が語る“羽生結弦の10年”「誰よりも苦しんでいるはず」「勝負師気質は上杉謙信とも重なる」

posted2021/12/07 06:00

 
《祝27歳》応援団長・松岡修造が語る“羽生結弦の10年”「誰よりも苦しんでいるはず」「勝負師気質は上杉謙信とも重なる」<Number Web> photograph by AFLO

2018年2月、平昌五輪の日本選手団帰国報告会で羽生にインタビュー。テレビ番組の取材をはじめ様々な機会で、羽生の想いを聞き続けてきた

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矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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初対面は2011年、羽生結弦16歳の秋だった。以来、何度もインタビューを繰り返す中で感性と感性のぶつかり合いを演じてきた“魂の応援団長”が、彼の遂げた進化を語る。【初出:Sports Graphic Number 1019号(2021年1月21日発売)/<最前線の羽生応援団長>松岡修造「僕が見た逆境と挑戦の10年」】

 昨年(2020年12月)の全日本選手権を見て、素直にこれは「羽生プログラム」だと思いました。新しい羽根が生えた感じというのでしょうか。今までと違う羽生さんに見えたのです。僕自身も彼の心の中を共有している感覚がありました。

 それを強く感じたのは、フリーの『天と地と』です。これは彼が自分と向き合うために作り上げたプログラムだと思います。終わってみれば戦場、すなわち氷の上には上杉謙信と羽生さんが一緒に立っていて、完全に結弦ゾーンに入っていました。

 良く知られているように、上杉謙信は戦国時代最強と言われる「戦(いくさ)の人」でありながら、敵に塩を送ったエピソードが示す通り「義の武将」でもあります。我が身よりも他人のために尽くす“義”を大事にしてきた上杉に、僕は今回(同全日本選手権)の羽生さんが重なって見えたのです。彼は自分のためだけでなく周りのために演技をしていた。そこに一番感銘を受けました。

金メダル獲得のステップとして全日本があった

 加えて、こう言うと羽生さんに失礼かもしれないですけど、今回は調子が良かったわけではないと思うのです。ただ、コロナ禍でしたい練習ができず、あれほど得意なトリプルアクセルさえ跳べなくなって自分を見失うという、たぶん初めてのことまで経験した。今回は新しいジャンプはなかったわけですが、昔の羽生さんだったら新しい挑戦をしないと嫌だったに違いありません。でも、良い時も悪い時も経験してきたことで、今の自分を受け入れることができた。そこを強く感じました。

 もちろん、全日本に出る決断をした背景には、北京五輪プレシーズンだから、という考えもあると思います。羽生さんが考えているポイントは、“対ネイサン・チェン選手”です。チェン選手に勝つには何が必要か。4回転アクセルで勝負するのかどうかも含めて、羽生さんは色々なことを考えているはずです。僕の考えでは、羽生さんは金メダルを狙わないのなら北京五輪には出ないのではないかと思います。だから、金メダルを獲るための一つのステップとして全日本があったのだと思います。

【次ページ】 感じていることを巧みに言語化できる“スペシャリスト”

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