ゴルフPRESSBACK NUMBER
稲見萌寧はなぜ22歳で“賞金女王”になれた? 上田桃子を思い出すギラギラとした向上心「最強のプロゴルファーになれるように」
text by
キム・ミョンウKim Myung Wook
photograph byYoshimasa Nakano/Getty Images
posted2021/11/30 11:02
最終戦は9位タイに終わったものの、歴代2番目の若さで賞金女王となった稲見萌寧。東京五輪でもメダルを獲得するなど、大きく飛躍したシーズンとなった
「私自身、人前でしゃべることだったり舞台の上に立っても全然大丈夫なタイプなので影響とかは何にもありませんが、東京オリンピックとか賞金女王争いの時とかは、考えていなかったことを知っちゃうこと、知りたくなかったことを知っちゃったりというのもありました。その辺でプレッシャーもあったと思います」
人当たりがよく、性格的にも物怖じすることもない。人前に出れば堂々としている雰囲気を持っているが、その通りだと思う。ただ、注目選手に成長したことで、知りたくないことも自然と目と耳に入ってくるようになった。
思えば、東京五輪の日本代表の座も古江と争っていたし、今や女子ゴルフ界の注目度ではナンバーワンと言ってもいい渋野日向子にも東京五輪代表の座を期待する声が大きかった。
今年6月の「アース・モンダミンカップ」、7月の「資生堂レディス」で2週連続で予選落ちしたときは「心が折れた」と言っていた。それでも気持ちを立て直せたのは、「そのあとに勝てたりしているから」と自分なりに分析している。つまり、稲見は結果を出したり、勝つことでメンタルを蘇らせてきたというのだ。
勝つたびに鍛えられた“強心臓”
「東京五輪にはめちゃくちゃ出たかった。裏では出たい気持ちを抑えていた」と喜びを爆発させ、ホーム開催の五輪では国民の期待に応える活躍で、見事に銀メダルを獲得した。当初は米ツアーを主戦場にする畑岡奈紗が東京五輪のメダル大本命で、稲見の実力を懐疑的に見ていた人も多かったはずだが、そんなプレッシャーをはねのけてのメダル獲得だった。
「五輪のメダルを獲ったという自覚の強さは偉大だったなとすごく感じます」
多くの日本国民の耳目が集まる五輪を機に、大きく風向きが変わった。ここから肩にのしかかる重圧を乗り越えていく術を学んだ。
「勝つからこそ、より一層パワーアップできると思っています。プレッシャーをどんどんかけてもらって、それに勝るくらい乗り越えようっていう気持ちでできたので、それが逆に良い経験になりました。それを乗り越えたからこそ、賞金女王になれたと思うのですごくよかったなって思います」
多少のことでは動じない“強心臓”は、勝つたびに鍛えられたのだろう。そして、その下支えになったのは練習だ。
「(気持ちが)折れても折れてなくても、負けても勝っても練習をずっとしていました。そのルーティンだけは変わらずにひたすらやり続けること。それはどんな時でも役に立つのかなと思います」
当たり前のことを当たり前のようにやり続けることで、不安を払しょくし、重圧に打ち勝ち、結果を出す――。その過程はまさにプロのアスリートのお手本だ。