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《元KAT-TUN田中聖と“ケンカ”で対戦》なぜ人は朝倉未来に熱狂するのか? 卓越した勝負脳と「ブレない生き方」に迫る
posted2021/11/20 11:02
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph by
RIZIN FF Susumu Nagao
いつの時代も、なぜ人々は不良少年に強い憧れを抱くのか。格闘技で歴史を作った選手の系譜を見てみると、不良少年からの成り上がりという流れが存在する。
かつてK-1で一時代を築いた魔裟斗も、MMAでの活躍で憧れる予備軍が続出した山本“KID”徳郁もそうだった。
ボクシング界を見ても、薬師寺保栄や辰吉丈一郎は劇画『あしたのジョー』の流れを受け継ぐ不良少年としてのエピソードをあまた持ち合わせている。
ケンカ三昧の末に少年院へ…“路上の伝説”のリアリティ
令和の時代になっても、その流れを受け継ぐ者はいる。朝倉未来(トライフォース赤坂)はその最たるものだろう。友人とたったふたりで50人を相手に瀕死の重傷を負ったストリートファイトなど、壮絶なエピソードは枚挙にいとまがない。
現在はともにRIZINで活躍する実弟・海との、下手をすると大ケガしそうな路上での“ガチ”スパーリングは実際の映像が残っている。伝聞や噂だけに終わらないところに、朝倉未来伝説のリアリティは存在する。
朝倉は通っていた高校を退学し、少年院に送られ、1年4カ月を過ごす。もっとも多感な時期に、徹底的に抑圧された生活を送ったことは、その後の人生に大きな影響を及ぼしたのではないだろうか。
その後、朝倉は活躍の場を地下格闘技や『THE OUTSIDER』に移す。いずれも朝倉のようなケンカによる武勇伝を持つ者が集う舞台ながら、そのステータスに埋もれることはなかった。RIZINという表舞台に這い上がることができたのは、それだけの素養を持ち合わせていたからにほかならない。
MMAで勝ち残った異質の勝負脳
MMAはケンカのスキルだけで勝ち上がれるような世界ではない。黎明期にはそれだけの選手もいたが、技術体系が確立されるにつれ、そういった類のファイターはフェードアウトせざるを得なくなった。