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怒涛の11連勝で大逆転優勝「クリアソン新宿」の正体とは? 難敵を次々と味方につける“週刊少年ジャンプ”のような快進撃
 

text by

飯尾篤史

飯尾篤史Atsushi Iio

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photograph byKiichi Matsumoto

posted2021/11/11 11:02

怒涛の11連勝で大逆転優勝「クリアソン新宿」の正体とは? 難敵を次々と味方につける“週刊少年ジャンプ”のような快進撃<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

クリアソン新宿の運営会社である株式会社Criacaoの丸山和大代表。自身もサッカーに明け暮れた学生時代を過ごした

 高校時代の丸山は、今とはまるで異なる価値観を持っていた。

 勝利こそすべて。サッカーがうまいやつが偉い――。

 チームメイトは助け合う仲間ではなく、蹴落とすべきライバル。結果を出した者だけに発言権がある。

 そんな環境のなかで、プロになることを目指してサッカーに明け暮れた。

「高校は桐蔭学園だったんですけど、プロ予備軍みたいな感じでした。サッカー部は内部進学組とサッカー推薦組、一般受験組に分かれていて。僕は受験組だったんですけど、サッカー部に入るのにまずセレクションがあって。正式に部員になるまで部室で着替えることもできなかったり。明確なヒエラルキーのある競争世界にいきなり放り込まれたんです」

 周りは自己主張の強いメンバーばかり。人間関係はギスギスしたものだったが、疑問に感じることもなかった。

「強豪校ってこういうものだと思っていたし、自分もそこに染まりながら鍛えられた部分があった。サッカー、しんどいなって思う時期もありましたけど、プロになりたい一心で、歯を食いしばってサッカーをやっていましたね」

 一元的だったサッカー観が変わるのは、大学時代のことだ。

 高校卒業のタイミングでプロになれなかった丸山は、プロを諦めて立教大学に進学する。

 サッカーを続けるかどうか、サッカーを続けるなら体育会サッカー部に入るかどうかで悩んだ丸山は、高校時代の先輩の誘いもあってサークルでサッカーを続ける道を選ぶ。

 ここで新たな価値観、新たなサッカーとの向き合い方と出会う。

「最初の頃、僕は高校時代の延長で、うまいやつが偉いという感じだったので、仲間を傷つけてしまうこともあったんです。でも、周りはいいやつばかりで、尖っている自分を受け入れてくれて」

 サッカーが好きだから仲間のために頑張りたい――。そんなチームメイトと触れ合うなかで、丸山にも「みんなのために自分も頑張りたい」という気持ちが芽生えていく。

決定的に価値観を変えた出来事

 変わりつつある価値観が決定的になったのは、大学3年のときだった。

「僕が代表を務めたときに、サークル日本一になれたんです。サッカーがうまい選手だけではチームは成り立たなくて、そうじゃないメンバーが支えてくれたからこそ喜びが大きくなった。高校時代は試合に勝ってもベンチメンバーが喜んでなかったり、自分が出られない悔しさのほうが大きかったけど、サークルでは出ているメンバーも出ていないメンバーも役割分担があって。みんなが成長できるようなサッカーとの関わり方もあるんだな、そのほうがチームは強くなるし、みんなが幸せになるんだなって。それが原体験として自分の中にあります」

 と同時に、日本サッカーが抱える課題も感じるようになった。

「高校時代の同級生で、今も一緒にやっている剣持(雅俊)は、プロになれたのに、断ったんです。高校時代は『なんで?』と思ったんですけど、大学時代にスポーツ界の抱える問題が分かってきた。高卒2、3年で結果を出せなければ契約満了になったり、長くプレーできてもセカンドキャリアの問題がありますよね。それで、スポーツ界の課題を解決できる人間になりたい、スポーツの持つ力を使って社会を豊かにしていきたいと思うようになりました」

 その第一歩となったのが、大学4年だった2005年の新チーム結成である。

 サークルを引退した者が集まってサッカーをする場として作られた新チームの名前は、クリアソン――。

【次ページ】 「クリアソン」の由来

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