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怒涛の11連勝で大逆転優勝「クリアソン新宿」の正体とは? 難敵を次々と味方につける“週刊少年ジャンプ”のような快進撃
 

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飯尾篤史

飯尾篤史Atsushi Iio

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photograph byKiichi Matsumoto

posted2021/11/11 11:02

怒涛の11連勝で大逆転優勝「クリアソン新宿」の正体とは? 難敵を次々と味方につける“週刊少年ジャンプ”のような快進撃<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

クリアソン新宿の運営会社である株式会社Criacaoの丸山和大代表。自身もサッカーに明け暮れた学生時代を過ごした

「当時は深く考えきれてはいなかったんですが、『感動を創造する』なんて言っていて。感動と創造を表す言葉を並べて、一番響きが良かったのが、ポルトガル語で創造を意味する『Criacao』だったんです。なんて読むのか分からないってよく言われますけど(笑)、そういうところから関心を持ってもらえればいいかなと」

 チームの活動が本格化するのは、大学卒業後に大手商社に就職し、関西勤務となった丸山が東京に戻ってきた2008年のことだ。

 盟友である剣持もチームに加わり、2009年に東京都リーグ4部(J1から数えてJ10に相当)に参戦する。

「この頃には、『やるからには上を目指してやろう』と話していました。Jリーグを目指すぞとか、2025年までに世界一になろうとか」

 2012年に東京都リーグ1部昇格を逃したことを受け、2013年4月、株式会社Criacaoを立ち上げた。

 それは、クラブとしての覚悟を示すものでもあった。

 このとき、丸山や剣持は改めてクラブの理念や意義について、徹底的に話し合っている。

「それまでも、他者の違いを認め、お互いをリスペクトするとか、自らの強みを組織の力に変え、仲間と支え合うとか、今のクリアソン新宿の理念の原型となる考え方はあったんですけど、このときにより深く考えたというか。なんのために起業してJリーグを目指すのか。理念や哲学をしっかり言語化して、存在意義を明確にしておきたかったんです」

 新宿をホームタウンに定め、チーム名を「クリアソン」から「クリアソン新宿」に変更するのは、2017年11月のことである。

「ビジネスと両立させるなら23区はマスト」

 もっとも、2013年8月にはすでに日本ブラインドサッカー協会に間借りする形で、株式会社Criacaoのオフィスを新宿区百人町に移していた。

「サッカーとビジネスを両立させるなら23区がマストでした。そのうえで、自分たちの理念と合うのはどの自治体なのか、23区の政策をチェックすると、多様な文化が混じり合う新宿区だなと。新宿にはオフィス街もあれば、繁華街や学生街もある。加えて、区民の10%強が外国籍の方なんですね。多様性を大事にするクラブの世界観や価値観に最も近いと感じました」

 新宿をホームタウンに決めた丸山たちクリアソン新宿のメンバーは、スポーツ推進委員という非常勤公務員のスポーツ指導員になったり、新宿区サッカー協会と関係性を築くべく、新宿区リーグに参戦したりした。

「Jクラブから話を聞いた際、地域のサッカー協会との関係性が良くないクラブがけっこうあって、苦労したという話をたくさん聞いたものですから。僕らのように何者でもないものが、新宿というサッカー不毛の地に根付こうと思ったら、新宿の人々に認めてもらわないといけない。それにはまず新宿区サッカー協会と関係性を作らなければ話にならない。そこで新宿区の少年サッカー大会とか、いろんなところに顔を出して挨拶して回ったんですけど、最初の頃は、『ややこしいやつが来たな』という反応なんですよ(苦笑)」

 だが、それも当然のリアクションだろう。なにせ当時のクリアソン新宿は東京都リーグ1部(J1から数えてJ7に相当)を戦っていたのだ。

 そんなクラブの人間から「Jリーグを目指します」「スポーツで地域の人を豊かにします」と言われても、ピンと来ないのも仕方がない。

 もっとも、話の分かる人間もいた。

 そして幸いにも、それは新宿区サッカー協会のトップだった。

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