ゴルフPRESSBACK NUMBER
タイガー・ウッズの“不倫騒動”だけではない? ナイキがゴルフクラブやボールから撤退した本当の理由
posted2021/11/11 06:00
text by
荒木博行Hiroyuki Araki
photograph by
Getty Images
1999年2月、ナイキはゴルフボール事業に参入しました。
ナイキがゴルフと関わりを持ったのは、1984年にゴルフ・アパレルに参入してからのこと。そして、ナイキがゴルフ・ブランドとして大きな注目を集めたのは、1996年、20歳でプロになったタイガー・ウッズと契約してからです。
全米アマチュア選手権で史上初の三連覇を達成した当時20歳のウッズと5年間で4000万ドルという破格の専属契約の締結は、大きな話題を呼びました。ウッズはその期待に応え、1997年にはマスターズで優勝、1999年には全米プロ選手権に優勝し、世界ランク1位に君臨します。このウッズの活躍に伴う露出効果で、ナイキはゴルフ界において、アパレルやシューズメーカーとしての確固たるプレゼンスを確立するのです。
そして、ナイキはゴルフ界の中で築いたそのブランドイメージをベースに、その事業を拡張する方針に舵を切ります。その1歩目が、ゴルフボール事業でした。
ゴルフボールにおいては、高級品はタイトリスト、普及品はスポルディングが主導権を握り、ダンロップ、ブリヂストンを含めた大手4ブランドによる寡占化が進んでいる市場でした。さらにウッズ効果によってゴルフへの注目が高まったことにより、ナイキと同タイミングでテーラーメイド、コブラ、そしてキャロウェイも参入の意思を表明します。
ナイキにとっては、市場を支配するビッグプレイヤーの顧客を奪いながら、新規参入組とも同時に戦わなくてはならないというシビアな市場でした。ゴルフボールの開発・製造能力がないナイキは、この難しい戦いに、OEM(相手先ブランドによる生産)という形で参入します。
ウッズが15打差をつけて全米オープンで優勝
この戦いにおいても、ナイキには大きな可能性がありました。それは、言うまでもなく、タイガー・ウッズの存在です。もし大きな注目を集めているウッズが、現在使用しているタイトリストのボールではなく、ナイキの新製品を使って優勝することができればアパレルのように一気に市場を獲得できる……そんな期待がありました。
そこで、当時ゴルフ事業のスポーツマーケティング部門グローバルディレクターだったケル・デブリンは、ウッズに9ヶ月密着し、OEM生産先であるブリヂストンの力を借りて、「ナイキ ツアー・アキュラシー」というブランドネームの試作品の開発に尽力します。
そのボールは、当時ウッズをはじめ多くのプレイヤーが使っていた「リキッドコアで糸巻き」タイプのボールではなく、「3ピース構造のラバーコアタイプ」でした。そして、ウッズのフィードバックを受けながらできあがった新しい試作品は、低スピンと高いボールスピードを可能にするものになったのです。そのテスト結果に満足したウッズは、2000年6月に今後の使用球をそれまでのタイトリスト製からナイキ製に変更することを発表します。
そして、ウッズはその次のPGAツアーで優勝、さらにはペブルビーチでの全米オープンでは、最終日を終えて15打差という全米オープンの新記録樹立という素晴らしい結果を残したのです。