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〈スポーツ界の二大巨頭、どっちが強い?〉FIFA対IOC、仁義なき攻防の歴史…サッカーW杯“2年おき開催案”はどうなるか
text by
小川勝Masaru Ogawa
photograph byGetty Images
posted2021/11/04 11:00
FIFAの「グローバル・ディベロップメント部門」責任者は元アーセナル監督のアーセン・ベンゲル氏だ
しかしIOCのアマチュアリズムによって、プロを五輪に出場させることができなかった。当時から両者は立場が違ったのだ。
五輪にサッカー“フル代表”が出ないワケ
第2次世界大戦以降の五輪では、国家の援助によってサッカーに専念できた選手を擁する東側諸国のチームが勝つようになった。52年のヘルシンキ五輪から80年のモスクワ五輪まで、東側諸国が優勝を独占した。
70年代にIOCは、アマチュアだけが出場できるという規則から、出場できるプレーヤーは、競技団体が決められるという規則に切り替えた。サッカーでは、80年のモスクワ五輪から、ワールドカップに予選を含めて出場した、欧州と南米のプレーヤーは出場できない、という規則になった。
そうなると、五輪に出場するチームは、制限なしのフル代表ではなく、成熟する前の、アンダー世代が活躍するチームを組む傾向になったから、FIFAは88年のソウル五輪から、23歳以下のチームの大会にすることを考えた。だがIOCは年齢による制限はよしとせず、従来の規則から譲らなかった。
FIFAはもともと、プロが出場する大会としてワールドカップを育ててきたのだから、フル代表が出場するのはあくまでワールドカップという考え。だがIOCは、プロの出場を解禁して、五輪の価値を上げていきたい、だからフル代表の出場を望むという考えだ。
FIFAの提案に対してIOCが制限なしを求めるという、攻防になったのだ。
その後、FIFAは92年のバルセロナ五輪から、出場は23歳以下のチームにするという制限をIOCに認めさせ、五輪は年齢制限のある大会にするという考えを通した。さまざまな競技がある中、五輪の出場に制限を加えて、フル代表が出場しないという団体競技は、サッカーだけと言っていいのだ。