オリンピックPRESSBACK NUMBER
「自分がヒヨッコに見えた」山縣亮太はなぜ“短距離のタブー”筋トレを始めたのか? パリ五輪では「2~3キロ増量」の理由
text by
倉世古洋平(スポーツニッポン新聞社)Yohei Kuraseko
photograph byYUTAKA/AFLO SPORT
posted2021/11/04 06:00
東京五輪での悔しい思いを胸に、再びパリ五輪へ向けて歩みを始めた山縣亮太。来年30歳、スピードへの探究心はまだ尽きそうもない
「不思議ですよね」と山縣は首をひねる。五輪初出場の12年ロンドン五輪は、現在より4~6キロも軽い67キロ。まともな筋トレをしたことがない、本人いわく「めちゃくちゃ細い体」だったが、気後れなど皆無だった。
「準決勝の前に、同組のヨハン・ブレーク選手、タイソン・ゲイ選手を間近で見たんですけど、彼らはそんなに身長が高いわけでもなく、“本気出したら勝てんじゃない?”くらいに思っていたんですよ」
当時は慶大2年生の20歳。10秒10の5着で準決勝敗退をしたものの、走る前の心境は“イケイケ”だった。
ところが、今回は違った。9年前に比べて、分厚い筋肉の鎧を身に着けたにもかかわらず、世界との差を明確に感じながら、予選のスタートを迎えていた。
6月に行われた五輪代表選考会の日本選手権の前に首を痛めた。故障の影響で、計画した水準のトレーニングが積めず、体重まで落ちたことがことが、「ヒヨッコ」の気持ちを生んだ要因になった。
視野が広がったリオ五輪からの5年
しかし、だ。状態が100%ではないにしても、ロンドン五輪や16年リオデジャネイロ五輪に比べれば、実力は格段に上がっていたのは事実だった。トランプのポーカーの手札で言えば、フラッシュかストレート、もしかすればフルハウスくらいの強さはあったはずだった。だが、それがワンペアかツーペアぐらいの「ヒヨッコ」にしか感じられなかったのは、蓄えた知識と経験がデメリットに働いた結果だった。
「リオからのこの5年は、足が速くなる目的に向けて、たくさんの角度から物事を考えられるようになったんですよ。筋トレの方法、食事の取り方、走るテクニックとか、いろんなことが見えるようになった。でも見えるようになった分、逆に足りない部分まですごく見えるようになってしまった。今回の五輪では特にそうでした。
本来なら、体重やトレーニングの数値を“ここまで上げたい”というのがあったが、上げきれなかった。ロンドンの時は、未熟だからこそ、出てきた自信なんでしょうね。いろんな壁にぶち当たって、いろんなことが考えられるようになった東京五輪は、あの頃よりも一回りも二回りも体が大きくなったのに、すごく不安になってしまった」