Sports Graphic Number MoreBACK NUMBER
「これだけはしろよと言うたことさえ、できひんのが今の子やね」立浪和義が引退直後に語っていた“若い選手への喝”
text by
橋本清Kiyoshi Hashimoto
photograph byKYODO
posted2021/11/03 11:02
中日の新監督に就任した立浪和義氏
「やっぱり最低限の厳しさがないと、ここ一番というときに力を出せない。プロに入ってはじめの星野(仙一)さんのときに、そういう厳しさを植えつけてもらったのが、長くできた要因だと思う」
――グラウンドでヘラヘラするなって、当たり前やった。昔の選手は笑顔が少なかった。
「ユニフォームは戦闘服だと教わってね。塁上で相手チームの選手としゃべってるだけで怒られた。試合始まればもう戦いだから、ニコニコやるというスタイルは好きじゃない」
PLでは「練習中元気がなかったりしたら怒った」
――少年野球の時からやな。茨木ナニワボーイズの多田章監督の教え。野球だけじゃなくて、礼儀とか道具を大切にすることとか。硬球を持って帰って消しゴムできれいにしたりとか、ほつれを縫ったりしてたもんな。
「野球に取り組む姿勢が、きっとよそのチームより厳しかった。PLに入ってまた上下関係に揉まれて、常にピリピリしたなかで寮生活を送って野球をして。PLの選手が勝負強いというのは、厳しい環境に自然と強くしてもらったからやな。耐えることも学ばせてもらったし、ここ一番というときにほかの選手に負けない自信がある」
――そのPLでキャプテンやって、タッさんは変わったよな。気、短かったのが……。
「うん、長なった。キャプテンやらせてもらったのは一番勉強になった。それまでは自分のことしか考えてなかったのに、周りも見ないといけない」
「野球選手はグラウンドで結果出すだけやから」
――でも、野球以外のことで叩かれたこともあるやんか。そういう時ってどんな気持ちで野球に取り組んでたの。
「あることないこと、いろんなこと書かれるから非常に困ることもあったけど、野球選手はグラウンドで結果出すだけやから。結果出さなあかんっていうプレッシャーはあったけどね。野球でがんばるしかなかった」
――また、そういうときによう活躍したもんな。片岡ともすごいなって話してた。普通なら引きずってしまうというか集中できない。タッさんは強いなあと。