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あの<夏の密会>からすべては始まった…ホンダとレッドブルを結びつけてチームを育てた、山本雅史MDの信頼を生む仕事とは 

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尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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photograph byGetty Images

posted2021/10/27 11:00

あの<夏の密会>からすべては始まった…ホンダとレッドブルを結びつけてチームを育てた、山本雅史MDの信頼を生む仕事とは<Number Web> photograph by Getty Images

アメリカGPでフェルスタッペンが勝利し、初めて表彰台に上った山本雅史マネージングディレクター(右)

 そのパワーユニットの管理を現場でテクニカルディレクターとして指揮しているのが田辺で、レッドブルから絶大な信頼を寄せられている。一方、山本は技術者ではなく、ホンダF1のマネージメントを仕切る人物だ。世界最高峰のモータースポーツであるF1は高い技術力がなければ頂点に立つことはできないが、技術力があれば必ず勝てるわけでもない。その高い技術力をどのチームのマシンに搭載すればいいのか。ホンダがレッドブルと組むきっかけを作ったのが、山本だった。

 山本が初めてレッドブルと接触したのは、17年の夏。オーストリアGPの舞台、レッドブルリンクだった。当時のレッドブルはルノーのパワーユニットを搭載し、ホンダはマクラーレンにパワーユニットを供給していたため、パドックで会って話し合うわけにもいかない。その点、レッドブルリンクはその名の通りレッドブルが所有するサーキットで、レッドブル専用のVIPルームがいくつもあった。山本はパドックを出て、レッドブルが指定したVIPルームで、レッドブルのヘルムート・マルコ(モータースポーツアドバイザー)と密会した。

パートナーシップの根底にある信頼

 当時、レッドブルもホンダも、それぞれのパートナーとの関係が悪化していた。したがって、密会していることが明らかになると、その関係がさらに悪化する。にもかかわらず密会したのは、双方が自分たちが掲げる目標を実現させるためにはレッドブルとホンダが手を組むしか道はないと考えていたからだった。そのためには、相手を疑うより、信じるしかない。

 レッドブルリンクで初めて会って、直に話し合いを行ったマルコと山本は、すぐに互いが信頼できる相手だと確信した。その後、両者は急接近していき、2年後の19年にレッドブル・ホンダが誕生。さらに2年後の21年にはチャンピオンシップのリーダーとなった。17年にはだれも想像していなかったこのサクセスストーリーを思い描き、実行した人物が山本だった。レッドブルの首脳陣が山本に厚い信頼を寄せるのは、そんな経緯があるからだ。

 ホーナーから無線で表彰式への参加者として指名された山本だったが、すぐには理解できず、しばらくガレージの中にいた。すると、周囲にいたレッドブルのスタッフたちがみんなで「ヤマモトさん、表彰台だよ」と笑顔で表彰台の下まで送り出してくれた。

 ホンダがアメリカGPで優勝するのは、91年のフェニックスでのアイルトン・セナ以来、30年ぶり。表彰台に上がった山本の目には、ホンダとレッドブルのスタッフが入り混じって喜んでいる光景が映っていた。

「レッドブルとパートナーを組んで良かった」

 山本は、そのことを実感しながら、表彰台の上でシャンパンファイトを心の底から楽しんでいた。

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