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赤字続きでドン底だった地方競馬の“犠牲”に…“消えた競馬場” 栃木で愛された「宇都宮競馬場」今は何がある? 跡地に行った話
posted2021/08/31 11:06
text by
鼠入昌史Masashi Soiri
photograph by
JIJI PRESS
地方競馬が絶好調だという。馬が快進撃を見せているのではなく、馬券がよく売れているという話だ。全国に15場ある地方競馬場の2020年度の総売上は、ピークであるバブル末期の1991年度に迫る約9120億円。前年度からは30%も増えている。
その理由はいろいろ言われている。全国どこにいても馬券が買えるネット投票が定着したからだとか、365日休むことなくどこかしらの競馬場で馬が走っているおかげでギャンブラー諸氏の癒しになっているからだとか、長年のイメージアップの取り組みが身を結びつつあるからだとか……。また、コロナによって娯楽が止まった中でも馬だけは走り続けてくれたという事情も大いに関係していそうだ。どれかひとつの理由だけで30%増という数字はなかなか出てこないから、いろいろな事情が組み合わさってこうした結果になったのだろう。
かくも絶好調の地方競馬だが、ほんの10年ばかり前まではドン底であった。全国の地方競馬場の総売上はなんと3000億円台。つまり今の3分の1である。とうぜん、ほとんどの競馬場が赤字であった。赤字は埋めねばならぬ。地方競馬は地方自治体による“公営”だから税金が投じられることになる。が、地方財政だって思わしくないわけで、お馬さんのかけっこになんで血税を!という市民の声にはなかなか抗えない。主催者の自治体が「税金投入するくらいならやめます」と言ったらそれでおしまいである。というわけで、2000年代のはじめにいくつもの地方競馬が姿を消した。
ほんの10年ばかり我慢していれば右肩上がりの時代がやってきたのに、実にタイミングの悪い話だ。だが、そうしたタイミングの悪さは人生にはつきものである。大援軍を率いて信長がやってくるぞと慄いて秀吉と和議を結んだ毛利一族も、あとから信長が本能寺で殺されていたと知ってほぞを噛んだに違いない。
1周1200mの広大な“跡地”
そんな“10年ばかり”を耐えられずに姿を消した競馬場のひとつが、宇都宮競馬場だ。
宇都宮競馬場は文字通り栃木県宇都宮市にあった。1周1200メートルの右回りダートコースの競馬場で、完成したのは1933年。「栃木の怪物」の異名をとったブライアンズロマンや29連勝を記録したドージマファイターなどの名馬を輩出し、ジョッキーでも“ミスターピンク”こと内田利雄などがいた。どれもこれもウマ娘とは無縁そうで地味ではあるが、宇都宮競馬のスターたちである。
ところが、例に漏れず1993年以降赤字経営が続く。ともに“北関東競馬“として仲間だった足利競馬場と高崎競馬場が廃止されるといよいよ立ち行かなくなって2006年3月末で70年と少々の歴史に幕を閉じた。じつは地方競馬右肩上がり時代の到来まで、あと6年であった。